EVERGREEN

好きな人が物書きなもので、つい。

【祝辞】0等星のあなたへ

加藤さん 奥様

 

この度はご結婚おめでとうございます。

加藤さんのファンの一人として、誠に勝手ながら祝辞を述べさせてください。

 

 

私が加藤さんに出会ったのは、2015年のことでした。

テレビ番組で拝見した加藤さんとNEWSに興味を持ち、

さまざまなお仕事をチェックするにつれて、

まさに『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を読んだときの加藤さんと同じように

気づけば加藤さんに対して「自分じゃん」という感情を抱いていました。

 

人見知りなのに目立ちたがりだったり、

自分への期待が大きいが故に卑屈なところがあったり、

「みんな」の中で「みんなと違うなにか」になりたかったり。

それまで出会った誰とも分かち合うことができなかった矛盾を加藤さんの中に見つけて、

やっと世界に居場所を見つけたような気持ちになったのを覚えています。

 

しかしそればかりでなく、自分に似ている気がするその人は、

私よりもずっと優しく寛容で、聡明で、努力家で、

ステージの上でたくさんの光を浴びて輝いていました。

「自分と同じような生きづらさを抱えた人が、同じ世界でたくさんの人に愛されている」ーー

紛れもなく、それは私にとって大きな希望でした。

 

ラジオから流れてきた加藤さんの言葉に、涙を流すほど救われた夜があります。

「きっと今どこかで加藤さんも頑張っている」と思うことで、顔を上げられた朝があります。

 

選択の連続の人生で、進む方角に迷い立ち止まるときはいつも、加藤さんの存在が道標になってくれました。

加藤さんを応援することを通して、前よりも少しだけ自分を愛せるようになりました。

 

「好きな人」と言うには少し遠く、

「自担」や「推し」という言葉で語るにはあまりにかけがえのない、

私の世界で0等星の輝きを放つ星。

それが私にとっての加藤さんです。

9年の時が過ぎてなお、そんな存在は加藤さんの他にありません。

 

 

そして、これからもきっと。

 

 

実は、ご結婚の発表を受けてから今日まで、

加藤さんが結婚されたということにまだあまり実感が湧かないのもあって、

私の世界では全く色褪せることのない日常が続いています。

 

とはいえ、私自身のライフステージが何度変わっても、

グループや会社の体制が変わっても、

どんなときも加藤さんという光は変わらず私の世界を照らしていたので、

これから少しずつなにかが変わったとしても、

私は自然にその光を追いかけてしまうのだと思っています。

 

だから今こそこう伝えさせてください。

今日も、明日も、明後日も、変わらずずっと大好きです!

 

 

そしてもうひとつ。

こんなことを伝えるのはちょっとおかしいかもしれませんが、

結婚という選択をしてくれて、それを教えてくれて、ありがとうございます。

 

もしかしたら「結婚」という選択肢を選ぶことに躊躇いがあるかもしれない業界にあって、

お二人のための幸福を選び取ってくれたこと。

そして、様々なリスクを天秤にかけながら、それを公開してくれたこと。

 

アイドルであることを理由に加藤さんの人生が制限されなかったことにも、

変わらずどこまでもファンに誠実に向き合ってくれることにも、

率直に、とても安心しています。

 

また、これは都合の良い想像ですが、

もしも…………もしも今回の決断の裏に少しでも

「自分のファンは受け入れてくれる」という気持ちがあったなら、

加藤さんのファンの1人として、これほど嬉しいことはありません。

 

また「ファンとよい関係を築けている」と言っていただけるように、

折に触れてまたラブレターを交換できるように、

これからも加藤さんの瞳を輝かせる無数の星のひとつとして、

0等星のあなたへ手を振らせてください。

 

 

改めまして、この度はご結婚誠におめでとうございます。

加藤さんが在りたい加藤成亮で、加藤シゲアキで在り続けられるように、

おふたりで支え合って幸せな家庭を築いてください。

おふたりの幸せを心よりお祈りしています。

 

 

2024年3月13日

べーぐる

マーブル模様の現在地

私は、旧ジャニーズ事務所に失望している。
私は、NEWSというグループが心底好きである。
この2つはきっと矛盾せずに両立するはずで、そうあってほしい、ということをこのところずっと考えている。
 
 
 
 
 
 
前段として、私はジャニーズが生み出したエンターテイメント=「芸能」に励まされて生きてきた自覚が大いにある一方で、「所属事務所」については、今回の性被害報道の前から愛着が薄れていたタイプの消費者である。中には歌舞伎や能のような伝統芸能と同様に、芸能スタイルと所属元は切り離せない、と考えている方もいるが(そしてそれによってこの問題に対して様々な意見が生まれていると思うが)、私はもともとそこは切り離したい、と考えていた。
 
事務所に対するマイナスな気持ちは、NEWSというグループを応援するようになって、あるいは自身が年齢を重ねるにつれて降り積もっていった。たとえば、不祥事に対する対応がタレントによって違うこと。退所のお知らせもタレントによって文言が違い、なにかと悪い意味で人間味を感じるシーンが多いと感じていた。運営面で言えば、YoutubeSNSへの進出・サブスク解禁が遅かったり、リセールシステムが一向に整備されなかったり、「アップデートが遅い会社」という印象もあった。
 
中でも最も違和感を感じていたポイントは、退所するタレントへの扱いだった。
俳優・声優業界ではマネジメント方針や会社体制をタレント自身が選び、事務所を移籍するのはよくある話だ。
女性アイドルはグループを華々しく「卒業」して、卒業後も卒業生として活動していく。
宝塚だって退団したあとは元・宝塚として自由に仕事ができる。
それなのになぜか、ジャニーズだけが「退所」することに対して「怒り」を浴びなければいけないことが多い。
そればかりか、退所後は元々持っていた仕事はすべて手放すことになり、地上波に出られなかったりする。 
そういう、権威的な側面を持ちながら、大企業的なコンプライアンス意識は足りない…という歪みがあの会社にはあると感じていた。
 
 
 
 
そして、今年の初めに、BBCの報道が出た。
 
ジャニー喜多川氏の性加害の噂について、聞いたことがなかったわけではない。
※ただし、これまでその話が出たのはもっぱら暴露本のような媒体であり、私個人としては信憑性に欠けると感じていた。ゆえに、ファンは加害の話を知っていながら応援していた、という文脈でファンを批判する意見については強く反論したいと思う。
 
しかしこれは企業としてきちんと声明を出して対応せねばならない事態になったな、と感じながら、
さすがに事務所にもそれなりに応戦する準備があるだろう、と思っていた。
これまで「噂」レベルでそういう話が出た時点で、きっと事実確認や社内の体制整備も完了しているだろうと。
 
 
しかし、長い調査期間を経て事務所が出したのは「性被害はあった」という発表だった。
そうして私の甘い希望はすべて打ち砕かれた。
 
 
大前提として、性被害は犯罪であり、決してあってはならない。
性被害についての報道が成された時点で、事務所は企業として誠実な対応を取らなければならない。
一方で、今回、当事者は既に逝去しており、詳細な事実確認はできない状況にあった。
そのような状況を踏まえて、(社会人の端くれなりに)まず事務所が取るべき行動は、仮に過去性被害があったと仮定してそれが今は発生しえない状況であると証明することーーーつまりは再発防止だと思っていた。
 
しかし、最初の会見で、再発防止についてのクリティカルな話は一切なかった。
報道から5ヶ月経っているのに、である。
一ヶ月後になってやっと再発防止の話が出てきたが、社内でまとまりきっていないものを会見で話してどっちつかずな回答をしたり、そもそも契約変更の話が所属タレントに事前共有されていなかったことが明らかになったりしている。何度か発表されている公式の声明では、加害側でありながら「虚偽の話をされているケースが」と言及するわ、末尾に「タレントと一丸となって」と書くわ散々である(この問題に対して真摯に取り組むべきなのは会社であってタレントではないはずだ)。
そんなわけでもうずっとあの事務所に失望しており、社長なんか交代したところでダメだこの会社、もう(応募者いないだろうけど)各界の精鋭を大量に中途採用して建て直さないとダメなんじゃないか、と思ったりする。
 
 
一方で、所属タレントをそこそこ長く応援する中で、私はジャニー氏とのエピソードを数多く耳にしてきた。
オーディション会場で椅子を並べているスタッフがいると思ったらその人だったこと、
挨拶をしなくて怒られたこと、喧嘩したあとに謝られたこと、「最悪だよ」が口癖だったこと。
彼の葬儀の後にはタレント一人一人が彼との思い出を語る時間があったというが、その全員が彼との印象的なエピソードを持っているというのは並大抵のことではない。だから、それだけ多くのタレントに慕われる求心力やプロデュース力を持ち合わせた人物でもあったのだろうと変わらず思っている。
 
もちろん今までのように名前を出して賞賛することは憚られるべきで、その観点から社名の変更等も免れないと思うが、だからといって彼にまつわるものすべてを寄ってたかって踏みつけるような態度には違和感を覚える。彼がライブエンターテイメントの世界で成した功績や、性加害の事実を知らず故人を慕っていた人が抱く想いは否定することができないはずなのに、それを「誰も幸せにしなかった」とか「人類史上最悪の…」と言ってしまうのはやりすぎではないか。どこが境界、と明言することは難しいが、犯罪行為への批判・糾弾と必要以上の誹謗中傷には明確な違いがあるはずだ。
 
犯罪を犯した人であったとしても、悪事しか働いたことのない人というのはきっと少ない。
自分が顔も見たくないほど憎い人が違う面から見たらいい人なのはよくあることで、
黒と白は混ざり合っているから難しい。
 
 
そして、感情がどこかに寄りすぎると、反対側が敵になり、本質を見失ってしまう(現に加害側を過度に擁護する声の多くは、メディアの態度への反発心から生まれているような印象を受けている)。
 
だからできるだけ中庸でいたい。
何事も100%白か黒かでは塗りつぶせないのだから、せめてそういう見方をしないように気を付けたい。
 
そんなわけで、自分が抱える想いについても今は一色に塗りつぶさず、
浮かべたままにしておこうと考えている。
 
 
 
 
先々週、先週と、NEWS EXPOの横浜公演・広島公演に入った。
今の事務所を取り巻く環境についてメンバーが言及する場面は確かにあった。
それを強さと取る人も弱さと取る人もどちらの意見も目にした。
本当のところは知る由もないが、個人的には、どちらの側面もある、と感じている。
誰になんと思われようと思ったことを口にする強さ、黙って抱えておけない弱さ。
笑いに昇華させて気丈にふるまう逞しさ、そうすることで不安を誤魔化していそうな脆さ。
そして私もまた、彼等の零した人間らしさを愛おしく思う気持ちと、「それを言葉に出すかは考えるべきだったんじゃないか」という気持ちの両方を抱えている。
 
真意はわからない。彼等の心情を邪推するべきでも代弁するべきでもない。
それでも私がNEWSのファンで居続けられるのは、
彼等がさまざまな意見を受け止めて「考えられる」人であると信じているからだ。
 
コンサートでの他のメンバーの挨拶中、いつも加藤さんが瞳を彷徨わせてなにかに思いを巡らせていたように、「あらゆることを受け止めて」これからも何事にも誠実に向き合っていってくれること、そこが私にとっては一番大事で、そうあってくれると信じている。
 
 
だから今は過度に心を使わずに、静かに状況がどう転がっていくかを見守るだけだ。
失望と希望と両方を抱えて、考えることだけは止めずに。
今日もわたしはわたしの人生を粛々と生きる。
 

17月の問わず語り

2020年の夏、緑と黄色と紫のレターセットを買った。
書こうとした言葉は「ごめんなさい」だった。
 
『CLOVER PROJECT』を終えて、NEWSの体制が変わることも発表され、賛否様々な反響をいただいた頃のことだ。「ありがとう」もあれば批判もあった。結果論でしかないことはわかっていたけれど、「4人でいて」というメッセージが「3人じゃダメ」と言う意味で伝わっているかもしれないと思ったら、結果論だからと切り捨ててしまうことはできなかった。しかし、自分が「ごめんなさい」を言ってしまうことは、何の解決にもならないとも思っていた。少なくともたくさんいただいた「ありがとう」を無碍にしてしまう気がしてTwitterでは言わなかった。
 
だから手紙にしたためようかと思った。
とはいえ、何をどう伝えればいいのだろう。だって、体制の変化という結果に関係なく、あのとき集まったたくさんの想いは、本当に純粋で切実な形ある「愛」だったのだ。4人に向けられた想いがあれだけあったことは、紛れもない事実だったのだ。それを顔も見えない自分がしゃしゃり出て行って「ごめん」と言うのは気持ち悪いなと思った。何より、企画に関する全ての責任は自分で取ると決めていたけれど、想いは参加してくれた人ひとりひとりのものであって、私が勝手に使っていいものではないのだ。
 
それに、「3人のNEWSを応援します」と自分の言葉で書けるほど気持ちの整理もついていなかった。きっとこれからもNEWSが好きだと思ってはいたけれど、私はカナリヤもビューティフルも全然聞けなくて、一人分の声が足りないことをずっと寂しく思っていたファンだった。
 
結局、おこがましいけれど、私というファンが3人になったNEWSとこれからも共に歩き続けることで贖罪を果たすしかないと思い、手紙を書くのもやめた。いつかこのレターセットを使うときには、「ごめんなさい」ではなく「ありがとう」と綴ろうと決めて。
 
 
 
 
 
それから一年が過ぎ、私は横アリでSTORYの初日を迎えた。
 
ずっと寂しかった。確実にリハーサルまでいたであろう人の影をそこかしこに感じる演出にも、聞こえないはずの声が聞こえる瞬間も、ピンク色の照明が灯ったときも、ずっと。4人のSTORYだった。それがありがたかった。NEWSが離別も物語の一部にしてくれたこと、STORY 2020のタイトルで続けてくれたことは愛でしかないと思った。やっと、自分の十字架に関係なく、「これからもNEWSが好き」だという確信を得た。
 
 
 
 
 
 
 
そして5月になった。
 
FCから届いた千秋楽のサプライズ企画のメール。「こんなことある?」と思った。あまりにも既視感のある企画内容だったから。そして今日を迎えて配信を見ながら、やっぱり「こんなことある?」と思った。だって映像とメッセージの流れる方向まで一緒なのだ。みんなの声の後ろに流れる音がピアノなのだ。そんな、そんなことある?
 
もちろん偶然かもしれない。グループ間に一席開けての座席だからペンライトで文字を作れないとか、コロナ禍でファンの歌声を聞かせられないとか、そういうことを鑑みた上で、歌声とメッセージに落ち着いただけかもしれない。
 
でも、もしかしたらCLOVER PROJECTを意識して、素敵な偶然を演出しようと思い立ってくれたのかもしれない。そしてそれは、あの企画に参加してくれたような4人のNEWSが心底大好きだった人たち、中でも手越くんのいないSTORYを見ることになかなか乗り気になれないような人たちにも、今回の配信を見て欲しかったからかもしれない。
 
どちらにせよ、企画としてチームNEWSが提示してきたものと、かつての自分のそれが一致したことには、すごく救われた心地がした。一年越しに答え合わせをして、NEWSとNEWSファンのかたちとして「間違ってないよ」って言われたような気がしたのだ。
 
それが私の自意識過剰だったとしても、それでも心からありがたかった。CLOVER PROJECTの後、何度か「3人に向けてもやってほしい」という声はいただいていたし、前述したような課題点をフォローするためにもできることなら実施したかったけれど、状況や作業コストを考えるとどうしても難しかった。そのできなかった第二弾を、チームNEWSが形にしてくれた。 「あの日届いた声」を「3人になった今も聞こえる声」として演出してくれた。
 
NEWSファンの歌声と、いつか見たようなメッセージの山と、映像を見る3人の表情を見ながら、ひとり、勝手に背負った十字架をおろしてもらえたことに救われて号泣した。NEWSを喜ばせたくて演出されたサプライズなのに、私という一人のファンもまた、心底救われてしまったのだ。守れなかったと言わせてしまったけれど、今日のサプライズがあったから、CLOVER PROJECTはこれからもNEWSとファンの歴史の一部でいられる気がしている。
 
今回のサプライズを企画してくれた方に、心から感謝しています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
今日でNEWSの4部作は幕を閉じた。
 
勇気を出してNEWSのファンクラブに入って、セキスイハイムスーパーアリーナのゲートをくぐった日を、今でも鮮明に覚えている。初めて買った緑色のアイテム、機械の音と煙の匂い、メインステージのNEVERLANDの文字。まさか汽車が出てくるなんて、まさか松明や旗を持って出てくるなんて、まさかスタトロが自分の目の前を走るなんて思わなくて、驚きしかなかったあの日。小山さんの右手と、うちわを見て笑ってくれた加藤さんの笑顔。その後に聞いた「美しい恋にするよ」の約束。
 
生まれて初めてのアリーナで3列目をご用意されて死ぬかと思ったEPCOTIA。二回目のライブもやっぱり緊張しすぎて開演前は友人の手を握ってた。TWINKLE STARの間奏で飛び散る加藤さんの汗まで見えたこと。加藤さんのうちわを持ってたのに増田さんが友人にエアーハイタッチしてくれたこと。たくさん降ってきたAVALONの桜と銀テープ。遠くのフロートにいる手越くんの背中がとっても小さくて天使みたいだったこと。その手越くんが「それでいいの?目指す場所へ行くと決めたんだろう」でこっちを見てくれて、夢を叶えようと心に決めたこと。
 
直前まで天候が不安定だったのに、ライブが始まったら雨が降らなかったStrawberry。時期が時期だったから、ビジュアルが天才的だった加藤さんのうちわの前にカウコンの4人のうちわを持ってたくさん声援を送った。飛田給はシンプルに遠かった。
 
初めて東京ドームでNEWSを見たENCORE。スタンドの着席シートで、加藤さんのつくった映像演出を余すところなく見れて楽しかった。外周は悲しみゾーンだったけど、惑星に乗って飛んでいる手越くんが頭上から満面の笑みで手を振ってくれてうれしかった。LVEの演出が天才だった。
 
初めてコンサートで遠征したWORLDISTA。真駒内で見た四銃士の加藤さんは絵画みたいだった。宮城公演ではその金剛山の目の前で、曲中に何度も目が合って、リフターが降りていくときに笑って手を降ってくれた加藤さんがめちゃくちゃ彼氏だった。NEWSでも大きいモニターやレーザーが導入されてて嬉しかった。オーラスの日にフォロワーさんと飲み会に行ったのも楽しい思い出。
 
横アリをご用意されて、不安と緊張の中迎えたSTORY。センター最前だった。今日ここで死ぬのかもしれないと思った。コンサートの演出にも不安はあったけれど、「There were four men.」とナレーションが流れた瞬間にこれからもNEWSが好きだと確信した。URでも「生きろ」でも耐えたけど、”男”が帰ってこなかったあたりからずっと泣いてて、クローバーのときにフェイスシールドが曇った。暗転したステージに立った加藤さんが上を見上げた瞬間にスポットライトの光が差した、あの象徴的なNEW STORYの始まりは絶対に忘れないと思う。
 
 
私とNEWSの旅も、NEVERLANDから始まった。
コンサートという特別な日にも、
ありふれた日常にも、
この5年間の日々のそこかしこに NEWSがいる。
 
その間に、私は大学生から社会人になって、
たくさんNEWSファンの友達ができて、
NEWSは4人から3人になって、
私はまだ寂しさの中にいるけれど、
「NEWSが好きだ」と胸を張って言える。
 
 
 
 
 
 
そんな私だっていつか、NEWSのファンを辞める日が来るかもしれない。
 
それは自分の変化かもしれないし、
見たいものがなくなったときかもしれないし、
NEWSがなくなったときかもしれない。
「ずっと」と言うのは願いみたいなもので、
永遠なんてないことは知っている。
 
 
 
それでも私の中で、この日々は「永遠」だろうと思うのです。
 
 
人生の中の決して短くはない時間、
NEWSというアイドルに現を抜かしていたことを、
彼等の歌や言葉が繋いでくれた日々があったことを、
友達とコンサートに行った日の思い出を、
そこで見た素晴らしいエンターテイメントを、
あの日会場で加藤さんが私を見つけてくれたことを、
喜びと悲しみでたくさん泣いたことを、
そして小さな夢が叶った奇跡を、
 
心が覚えている。
 
この先何度も思い出す。
 
NEWSと私のSTORY。
 
これからも、勝手にその物語を紡いでいきたいと思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2020年夏、ファンレターは出せなかったけれど、
NEWSの影響で決めた大学の卒業論文に、NEWSを選んだ。
 
今も変わらない私の想いとして、この2020年の締め括りに、そのあとがきを記しておく。
 
 

好きになったときとNEWSのかたちは変わってしまったが、2020年6月という転換点は、例えるならシリーズ物で巻をまたいだところなのかもしれない。NEWSという物語に魅せられ、何年もそのストーリーに力をもらってきた私が、この先の展開を見ずして読者を辞めることなど、今更できるはずもないのだ。だから、これからも私は NEWSの読者であり続けるだろう。今はただ、いつかこの波乱に満ちた物語の行き着く先がハッピーエンドであることを願ってやまない。

 

f:id:bagle00:20210524070812j:plain



夢に敗れ夢にはぐれるージャニオタ就活体験記

 
「何度夢にやぶれ夢にはぐれ ここまで来ただろう」
 
今年の夏、内定をもらって21卒就活を終了したとき、ふと頭の中に流れてきたのはNEWS『NEW STORY』のこの一節でした。見切り発車で就活を初めて失敗、卒業を延長して新型コロナウイルスの影響を受けつつ一から別業界での就職活動。文字通り”夢にはぐれ”、決して順風満帆とは言えない就職活動でした。
 
そんなわけで、#ジャニオタと就活 タグをつけておきながら「ジャニオタは就活なんて楽勝よ!」と励ましてあげられないのは非常に心苦しいのですが、むしろ私の失敗談も参考にしてもらえたらと思いつつ、自分の波乱万丈な就活を赤裸々に綴ってみることとします。途中、ちょっと重い話も入るので、苦手な方は「やってよかったこと」から読んでくださいね。
 
 
ずっと書こうとは思ってたのにいろいろ(いろいろ)あってボサッとしてたら10月になってしまったのはお許しください…………………………………………………………………………
 
 

私の就活年表

 

1. 基本情報と3年12月までの私

はい、執筆者の基本プロフィールです。どーん。
【なまえ】べーぐる
【自担】加藤シゲアキ
【大学】都内私大 文系学部(指定校推薦)
【サークル】映像制作・イベント(ほぼ業者)
【アルバイト】某小売店レジ 6ヶ月(サークルが忙しくてやめる)、映像制作

 

さて、アルバイトの欄からなんとなく予想されるかもしれませんが、私の学生生活はというと一にサークル・二にサークル・三に趣味(あれ?学業は?)みたいな感じでした。
 
比率にしたらサークル:学業:バイト=7:1:2くらい。マジで褒められたことではないのですがサークルで責任のある立場だったのでそっちを優先して授業切ったりもしてました(単位は取ってたよ!!)。
 
 
 
サークルでは個人や団体から依頼を受けて映像をつくるということをしていて、自分で作るだけではなく案件ごとに打ち合わせに行ったり、スケジュール敷いたり、チーム編成したり、その合間で研修したり…といったマネジメントも担当していました。この依頼がトータル年50件以上あったので、サークルの仕事をしないで1日遊びに行けるような日は月に2日くらい。うーんブラック企業
 
 
でもその活動がとにかく楽しくて、一年生の頃から「社畜」と呼ばれるほど打ち込んでいた私は()、自然とクリエイティブを仕事にすることが夢になっていきました。それなら早めに行動しておこうと、2年の頃に制作会社でのアルバイトを開始。ときどきフリーランスで依頼を受けてお金を稼いだり、自分のお金でセミナーに通ったりもしていました。
 
 
 
 
 

2. 3年1月 就活スタート、早々に一社内定

そんなこんなで3年12月まではサークルに忙殺されていた私は、2019年の正月からえっちらおっちら就職活動を始めました。業界誌を買ったり気になる映像のクレジットをメモしたりはしていたので、そのリストから求人募集があるところに応募してみたり、就職サイトに載っている企業で気になるところに応募してみたり。今思えば制作実績しか見ていない行き当たりばったりな探し方です。
 
そして、何社か応募している中、ある会社の一次面接に行くと、その日のうちに内々定が出ました。
 
実は就活を始める前に志望業界に就職した先輩に話を聞きに行っていたのですが、その人は「一社目で意気投合したし内定出たからそこしか受けてない」とかいうウルトラスーパーレアパターンの人でした。決してそのせいにするわけではないのですが、「そういうこともあるんだ!」と思っていた私はここで一度立ち止まることができず、早々に就活を辞めてしまいます。制作事例も魅力的だったし、そもそも自己肯定感が低いところがあるので”内定がもらえた”ということが飛び上がるほど嬉しかったのです。
 
 
 
 
 

3. 3年3月 内々定に別れを告げる

1月の時点で受けていた数社は全て選考を受けるのをやめてしまったので、2月はハッピーモードの中遊んで暮らしました。3月からは内定をいただいた会社にアルバイトで出勤することになっていました。
 
 
ところが、出勤初日から早速不安を覚える出来事が起こります。
 
入社1~2年目の隣の席の社員さんが、1日に2回も3回も社長に呼び出されて絞られているのです。私は(HSPかもしれないしそうでないかもしれないですが)自分以外の人が"怒られている”ことがものすごくストレスになるタイプだったし、そうでなくとも社員数名の小さなオフィスにはその度に僅かな物音にも気を遣うくらいの緊張感が漂い、率直に「これは続けられない」と思いました。
 
 
また、その怒られている内容も理不尽で全く納得できませんでした。私は手越くんじゃないですが小さい頃から何かと班長やリーダーをやるタイプだったので、いわゆるリーダー論には比較的強めの思想を持っており、社長の態度は思いっきりその思想に反するものでした。
 
社員の方とも話してみると、「ずっと辞めたいけど転職が不安だし…」とおっしゃっていて、社会人の知人数人に相談しても「早めに切り替えた方がいい」というアドバイスだったので、結局、勤務三日目にして私は最初の内定をお断りすることになりました。
 
 
 
 
 
 
 
 
4. 4年4月~5月 立ち塞がる職種の壁
この失敗を受けて、私は受ける会社の規模を気にするようになりました。苦手な人というのは避けられないけれども、やっぱり少なくとも数十人以上いる企業であればそれなりの協調性が働くからリスクが低いだろうと思ったのです。また、会社の内情が見えないことにもすごく不安を覚えたので、会社説明会や新卒採用サイトが整備されている、業界内でも大きめの企業をピックアップして受けることにしました。
 
 
ところがここで私を待ち受けていたのは「職種」という壁でした。
 
 
映像業界というのは、大きい会社であればあるほど、工場制手工業みたいな感じで、制作過程が細かく分かれています。そして、撮影とかCGとか、それぞれの工程のスペシャリストが求められるようになります。
 
しかし、前述したとおり、私はサークル(アマチュア)で「割となんでもちょっとずつかじってきた人」だったし、それを楽しいと思っていたので、一体どの職種が自分に最適なのかまるでわからなかったのです。会社ごとに説明を聞いてなんとなくこれかなあと思った職種に応募してみるも、当然志望理由に説得力がないし、専門的なスキルは美大や専門の人に敵わないしでなかなか先の選考に進めなくなりました。
 
 
 
 
 

5. 4年6月上旬 3つのメンタル大災害

不幸は続くものです。
少しずつ焦りが募る中、ここで私はメンタル破壊面接に出くわしてしまいました。
 
 
ある種の圧迫面接と言うのでしょうか。
 
その面接には服装指定がなかったのでリクルートスーツで伺ったのですが、まず「なんか君すごい流されてる感じするね」と嘲笑されるところから始まり、約30分間、自分の自己PRなどは一切語らせてもらえず、業界に対する悪口などをひたすら聞かされるのです。相手の論理には全然納得できないのに、その都度「ね??そう思わない??」と言われて仕方なく「はい…」と答えているとどんどん自分の思考が鈍って洗脳されていくような気がしました。
 
極め付けに言われたのが、「君って器用貧乏タイプなんだろうけど、なんでもできるって、なんにもできないっていうのと同じだから。」という言葉でした。知ってる。そんなことは、ずっと昔から痛いほど知っている。でも、それが自分の生きる道だと思ったから、少しでもできることが多い方が人の役に立てると思ったから、頑張ってできることを増やしてきたのに。
 
平常時であれば「この人普通にやばくね?」って思って終わることが、メンタルも多少弱っている就活の現場となるとそうは行かないのです。
 
初対面のたった一人の人の言葉でしたが、ただでさえ自信を失っている私のメンタルを破壊するには十分でした。20数年生きてきたけど、いかに自分が無価値な人間か突きつけられてしまった気がして、明日からどんな顔をして生きていけばいいのかわからなくなっていました。
 
 
 
 
それから数日以内に、2~3社からのお祈りメールが続き、持ち駒(選考中の企業)がなくなりました。どこも面接が盛り上がりひとまず手応えを感じていた企業だっただけに、やはりショックを受けてしまいました。
 
 
 
 
トドメは地元の母親の突然の来訪です。
その日学校から帰ったら母親がいて、正直「一番会いたくなかったな…」と思ってしまいました。
 
私は母親と決定的な亀裂があるわけではなく、ちゃんと愛情を注いで育ててもらったと思っているし感謝もしているのですが、シンプルに母には人として我慢ならないこともたくさんあるのです。それが、「人の話を聞かない」「無い知識を補おうとしない」「空気が読めない」「デリカシーがない」等々。
 
この時も、家で弱っている私を無理やり外出させようとしてきたり、執拗に話しかけてきたり。私が落ち込んでいる理由が就活だと気づくとなんと「どうせ自信あったんでしょ」と宣ってきました。これも、「自分がずっと自信の無さと戦っていることなんて身内すら理解してくれないのだ」と絶望するのには十分でした。
 
 
 
 
そうして私は、家を出られなくなりました。
 
 
 
 
 
 
 
6. 4年6月中旬 家を出られなくなる
病院で診断を受けたりしたわけではないので「家を出れなくなった」と書きましたが、症状としては初期の鬱だったように思います。出かけようとすると前述した面接の記憶が蘇って怖くなってしまう上に、リクルートスーツの人を見ると気持ちが焦ってしまうのです。また、道行く人が突然自分を指差して非難してくるのではないかという恐怖心がありました。
 
 
以前親しい友人が病んでしまったことがあるのですが、そのときの友人と自分との共通点が
①万事が自分のせいだと思ってしまい、口癖が「ごめんなさい」になる
②極端に感情に乏しくなる
大きくこの二つでした。
 
①に関しては今書いた通りです。実際には外出しなくても頭の中から自分を非難する声が聞こえてきて、それに「ごめんなさい、ごめんなさい」とひたすら謝っていました。その声は件の面接官だったり、昔の部活の顧問だったり、親だったり、仲がいいけど正論を吐きがちな友人(これが一番厄介)だったりして、「なにがしたいの?」ととにかく自分を責めてくるのです。
 
そうして精神的な外敵から身を守ろうとして心を固く閉ざした結果が、②の症状なのかなと思います。例えばお花を見て、普段なら「綺麗だな」とか思えるところが、「赤い」「花だ」以上の感情が何も浮かんでこない。笑いたくてお笑いの動画とかを見たりしても、遠い世界の出来事のように思えて全く心が動かないのです。逆に思いっきり涙を流すこともできなくて、どんどん閉塞感だけが募っていきました。
(この閉塞感が一定のレベルを超えると希死念慮に繋がるのかなと思います。私にもっと行動力があったら危なかった)
 
 
ネタみたいですが、何に対してもやる気が起こらなくて、1日窓辺で森山直太朗(生きて〜ることが〜辛い〜なら…)とKing Gnuと米津玄師と暗めのRADWIMPSを聞いて過ごしていました(明るい曲は聞けなかった)。
 
 
 
 
 

7. 4年6月下旬  復活

そんな症状が約二週間断続的に続いていましたが、幸せなことに大学3年間での充実した思い出は自分の中に残っていたので、「どうしたらあの活力のある自分に戻れるだろう」ということをずっと考えていました。そうして、悩みがあるときは大体人に愚痴ったりしてたな…ということを思い出し、自分にハイパー甘い友人ズをセレクトしてごはんに行きまくりました。ちょうど同期も内定が出て就活を終えた頃だったので誘いやすかったのです。
 
人と話すと、相手が自分の代わりに怒ってくれたりして、自分の悩みが段々小さいことに思えてくるんですよね。そしたら友人と適当に見に行ったスパイダーマンが普通に面白くて、あんまり泣くような映画じゃないのに自分が「おもしろい」と思えたことに感動して泣いたのを覚えています。
 
 
SNSにも救われました。Twitterでちょろっと弱音を吐いてみたら優しいリプライをいただいて、そこで改めて「初対面の人にクソdisられることもあるけど、顔も名前も知らない人が優しくしてくれることもある」と実感できたのです。
 
 
そんな中で、友人たちには揃って「べーぐるはいわゆる普通の就活の方がロジカルにできて向いてると思うよ」みたいなことを言われ、就活の再々スタートを考えるようになりました。そこからエージェントに登録したりして業界を限定しない就活の情報収集を始めました。
 
 
 
 
 

8. 4年7月  業界を変え就職留年を決める

いろいろなイベントに参加しましたが、「説明会に行く」ということ自体が私にとっては初めての経験でした。しかし、7月ともなるともう21卒のインターンが始まっている時期です。「説明会ってこんなに詳しく話してくれるんだ…」「これなら志望動機も固まりやすいな…」という感動はありつつ、やはり有名企業の採用は軒並み終了していることがわかり、少ない選択肢の中から選びたくないこと・時間をかけて情報収集したいことを理由に就職留年を決めました。そして、専門職ではなく、総合職志望でマスコミ/サービス業界を見ていくことにしました。
 

 

これは最近見たツイートなのですが、これがすごくわかりやすくて、クリエイティブなことをしていても私は明らかに”サービス業"タイプだったんです。
 
実際、就活中、「どんな映像が作りたいか」みたいなことを聞かれたときの本音は「相手が満足して喜んでくれるもの」だったし、サークルを引退してからはほとんど映像をつくっていなかったのです。それは忙しいからじゃなくて、ニーズがないからでした。ずっとニーズがある環境にいたから錯覚していたけれど、私は基本、人が喜んでくれることなら別になんでもいいタイプ。もちろん何かを工夫してつくることも好きなので、映像が自分にハマったところはあったと思うけれど、それは手段の一つでしか無かったんだなということにここでやっと気づきました。7月中旬のことです。
 
 
この決断に際して抱えていたのは卒業が遅れることに関する心配よりもむしろ「一度”夢”と志したものを諦めるのか?」という葛藤でした。しかし、この頃も一応映像業界を見てはいたもののいいと思える会社がなかったことなどから、少なくとも新卒の就職先にするのは得策では無いと思い、自分の中ではとりあえず"保留"することにしました。いつかまたやりたくなったら、そのとき考えればいいと。
 
 
 
 
 

9. 4年7月下旬〜9月  インターン&セミナーデビュー

さて、ここからは割と普通の(?)就活生と同じ行動パターンです!笑
 
インターンの解禁は6/1でもう募集が終わっている企業も多くあったので、就留を決めてすぐに今応募できる企業へのエントリーを急ぎました。就留して確実に良かったことのひとつは友人を頼りやすいことです。現役のときは遠慮して連絡すら取っていなかった私ですが、みんな暇してたのでESの添削などなにかと頼りやすくてとても助かりました。
 
 
また、自分はノーマル就活に関してはずぶの素人である自覚があったので、いろんな企業が主催している無料の「就活入門セミナー」みたいなやつに行きまくりました。講師の考えが自分に合わないことも普通にあるので、「3人から聞いて3人とも同じこと言ってる部分があったらそれが真理だ!」みたいな感じで、できるだけ情報源を多くすることを意識していました。
 
 
 
 
 
 

10. 4年7月下旬〜2月  インターンインターンインターン

私は仕事っぽいことはサークルで体験していたしバイトでも数年同じところに務めていたので、とにかくいろんな企業を見ることの方が大切だと思い、長期ではなく短期インターンで片っ端から気になる企業に申し込みました。
 
インターンに行くメリットについては後述しますが、私はイベント大好きオタクだったので初対面の人に会うのも楽しいし企業の会議室入れるのもワクワクするしで、割とインターンを楽しんでました(笑)感覚としては、コンサートとか舞台のチケットをとって参加するのに限りなく近かったです。定期的に就職サイトをチェックして情報集めながら、応募して、選考受けて、参加するの繰り返し。この期間でだいたい15社くらい参加しました。
 
それから、7月に登録したエージェントの方を就活アドバイザーのような感じで利用して、月に一回面談に行っていました。エージェントって求人紹介するのがお仕事なんですが、私の担当の方は珍しく「べーぐるさん求人紹介はあんまり必要なさそうなので…」と言ってくれる人で、面接での受け答えを考えたり、インターンの感想を話したり、自己分析の場として利用させてもらいました。人に話すと自分の考えもクリアになるし、不安も吐露できるしで一石二鳥だったので誰か定期的に相談できる相手は絶対につくったほうがいいです!
 
 
 
 
 

11. 4年3月  コロナの足音とスタートダッシュ失敗

いよいよ就活が本格化する3月。私は「1日にエントリーを頑張って、翌週からの加藤シゲアキウィークを満喫して、STORY聞いて、週末にSTORYの宮城公演に参戦して、そのエネルギーで就活頑張っちゃうぞ〜!」といういかにもジャニオタらしい計画を立てていました。
 
 
ところが新型コロナウイルスの影響で宮城公演は延期(当時)になり、一緒に参戦する予定だった友人は参加できないので払い戻しすることになり、気丈に振る舞ってはいたものの、気持ちはめちゃくちゃ萎んでしまいました。この頃になると入っていた面接の予定などもどんどん「時期未定」で流れ始め、手帳は二重線だらけに。
 
 
その不安と虚無感からの現実逃避で学生最後の一月をエンジョイする友人と遊びまくっていたら、半月以上何もしないまま3月下旬になってしまい、第一志望群のESすら書いてなくて締め切り直前に慌てる羽目になりました。友人に「お前忙しいの大好きじゃん!ほらやれ!」と語弊しかない励まし(?)とともにお尻叩かれながら一日二日で怒涛のようにESを書きました(友人に感謝)。
 
 
 
 
 

12. 5年4月 緊急事態宣言で死ぬメンタル

しかし、その後4月に入って緊急事態宣言が発令され、もう慌てることすらできなくなってしまいました。ほとんどの面接が流れ、ほぼ向こう一ヶ月が空白に。
 
 
家でやることがなくてぼんやり天井を見つめていると、昨年の家を出られなくなった時期と重なって、メンタルが死んでいく気がしました。このときは自分が出られなかったわけではなく、社会的に出てはいけなかったわけですが、やっぱりメンタルが落ちているときにずっと家の中にいると鬱々としてしまうんですよね。運動しよ…ディスタンスとればいいでしょ…と外に軽くランニングに出た日に「外走ってるやつマジ迷惑」みたいな投稿をTwitterで見て、また誰かに非難されている気分になってしばらく引きこもったり。この時期は就活2年目で未曾有の感染症に見舞われるって、「どこにも就職できない星のもとに生まれてしまったんじゃないか」と絶望していました。
 
 
ステイホーム期間に気づいたことなのですが、新しい映画を見るとか、新しい音楽を聞くとか、新しいものに触れることって結構精神的エネルギーを使うんですよね。それと同じで、このときはインターンで見ていない企業を新しく調べる元気がどうしても湧きませんでした(企業研究は元気な時に一通りやっておいた方がいいです)。エントリー済みの第一志望群の情報だけはずっとチェックしていましたが、この時点で私の持ち駒は10社くらい。平均よりかなり少ない状態でしたが、今月ある最終面接の対策しっかりするから許して…みたいなことを思って放置していました。
 
 
 
 
 

13. 5年4月下旬〜6月末 内定獲得・その後

どうなることかと思っていましたが、本当に幸運なことに、そんな4月の末にようやく結果が出ました。第一志望群の企業から内々定が出たのです。インターンからのルートで受けていた選考でした。

 

受かったから言えることですが、この企業はインターンに参加した時にかなりフィーリングが合うというか、そこで働いている自分が想像できるなと感じた企業で、私は大学もサークルもそんなフィーリングで選んで成功したので、やっぱり第六感って大事なんだなあと感じました。また、インターンのときに「自分のこういう話をすればここ受かるな」と内定までの道筋が見えたような気がしたところでもあったので、それもマッチングだったのだと思います。
 
 
とはいえ、一年目の失敗もあるし、他に受けずに見送るのはもったいなく思える企業もあったので、内定を保留して6月末まで就活を続けました。
 
内定が出た企業では自分の思ったことを素直に話して合格したので、そのマッチングを確かめるという意味でも、以降の企業では一切媚びずに素直な返答をすることを心がけていました。すると、(キャリアプランとか)受かった会社では評価された回答と同じ返しが他の会社では微妙な反応だったり、後から内定した企業とのマッチングを強く感じることも多くありました。また、選考途中で明らかに合わないなと思った企業はさっさと選考を辞退してました。
 
 
結果、最終面接まで行ったところはあったけれど、内定はその一社のみ。
迷うこともなく私の21卒の就活は幕を下ろしました。
 
 
私のわがままを聞いて2ヶ月も内定を保留して待ってくださったり、このご時世で内定取り消しはしませんと言ってくれたり、内定式を終えた現在も内定先にはすでにいろいろと感謝できることが多くて、良縁に恵まれたなと思っています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

やってよかったこと

さて、ここからが本題!
個人的に、就活戦線を戦って一番内定に結び付いたなあと思ったことを紹介します。
 
 
 

1.自己分析

まずはこれですね。理由は2つあって、一つ目は紛れもなく「自分が後悔しない選択をするため」です。私のような失敗に陥らないように、自分は本当は何に価値を見出しているのか?ということを見つけることが大切だと思います。ジャニオタであれば、なんでそのグループが好きなのかなあ、とかも考えてみるといいかも。
 
たまに「好きなものとか特にないわ!」というタイプの人がいますが(私の友達にもいる)、そういう人は逆に苦手なものを考えてみるといいかもしれません。自分が「これ無理だわ」と思うことを避けるところから始めてみると、意外と業界や会社が絞られてきたりするものです。例えば私でいうと、なにかをコツコツやるということが苦手で、短期目標がないと頑張れないタイプなので、できるだけ仕事のスパンが短くて評価がわかりやすいタイプの業界を志望していました。20年がかりのプロジェクトとか頑張れる気がしないので商社とか無理だな…みたいな感じですね。
 
 
 
 
そして二つ目の理由が、「内定を取るため」です。
 
「自己分析」という言葉を聞くとアンパンマン症候群(注:「なんのために生まれて…なにをして生きるのか…」という哲学モード)に陥るの、結構就活生あるあるだと思うのですが、そこまで深いことを要求されているわけではなくて、私は自己分析で必要なのは「自分のキャラクターを固めて言語化できるようにすること」だと思っています。
 
例えば、就活でよく出くわす適性検査という名の大量の設問がある心理テストみたいなやつ。「考えるより先に行動する派/行動するより先に考える派」とか、自分のことと思って考えると悩んでしまいそうですが、あなたの自担についてだと思ってみるとどうでしょう。私の自担であるNEWSの加藤さんだったら200%後者ですね。とまあ、自担のことだと思って設問を見てみると結構解けるんですよ、これが。これは、正解かどうかは別として、私たちの自担がそれだけしっかりキャラクターをアピールできているということなんですよね。
 
もう一つ。番組のオファーについて考えてみます。2019年に手越祐也くんが『逃走中』に出演して爪痕を残したことがあったんですが、これって知名度以外にも、「普段からフットサルで鍛えていて足が速い」→「終盤まで残りそう」、「女の子を大切にするキャラ」→「救助とかにも向かってくれそう」、「挑戦的なキャラ」→「ミッションにも挑戦してくれそう」みたいな制作側の期待があっての起用だったと思うのです(そして手越くんはその期待を裏切らないパフォーマンスをしたわけです)。「僕はこういう人間です」というタレントの普段のセルフプロデュースが直接お仕事につながっています。
 
 
 
新卒就活では自分の人となりをアピールして「この人にこういう仕事を任せたらこう活躍してくれそう」と想像させることが大切です。つまり、アイドルと同じ「自分のキャラクターのアピール」のための「自己分析」が必要だと言えます。パーソナリティーなんて多面的だしそんなの伝えきれんよって私も最初は思ってたんですが、2年間の就活を通して、少なくとも仕事をするときの「オン」の面を自分のキャラクターとして固めて、一枚のESや15分の面接でもわかるように言語化することが必要なんだなと実感しました。
 
 
そう、就活生はジャニーズアイドルなのです!!!(違う)
 
 
 
 
 
では、それをどうやってやるか。
 
まずは自分のキャラクターをどう見つけるか、というところですが、自分の個性って他人との差異で見つかるものだと思うので、私は自分一人で考えるだけでは答えは出ないと思っています。だから自己分析の本とかは買っていないです。
 
個人的には一番いいのは後述するインターンの経験でした。私はとりあえずいろんなインターンに行きまくってたわけですが、そうするとたくさん初対面の人に会う機会があるので、自己紹介を聞いたりとか、グループワークでの立ち回りを見たりとかして「この人はこう考えるんだな〜」と人を分析することができるんですよね。そうすると、翻って自分はこのグループの中でどういうキャラなのか・何を考えているのかも見えてきて、自己理解が深められました。
 
SNSも個人的には有用でした。SNSやブログって人の価値観がたくさん詰まっているので、それを見て「ほえ〜〜そうなんだ」「私はこういうタイプだな〜」となんとなく考えることが、最終的に自分のパーソナリティの輪郭をはっきりさせる大きな手助けになったと思います。
 
 
そうしてなんとなく自分がどんなアイドルなのかが見えてきたら(?)、それをESや面接で上手くアピールする方法を考えます。個人的なコツはエントリーシート全体で「自分」という作品になるように客観的に見て調整することです。
 
例えば、ガクチカに「テニスサークルで頑張った」と書いたら、「社交力が高そう・陽キャっぽい」というプラス評価がある一方で、「一人の時間が持てなそう」「学業はどうなんだろう」という印象があるかもしれない(テニサーの人マジでごめんなさい)。そこで趣味の欄に「読書」とか書いておくと、この人はアクティブなだけじゃないんだな、とちょっとネガティブな印象を中和できるわけです。
 
もちろん中和するだけじゃなくて、全体を見ながらとことんアクティブな人間に見せることもできるし、とにかく客観視して自分のパーソナリティーが伝わるようにうまくバランスをとることが大切!
 
世の中にはこの作業がめちゃくちゃ上手くて自分を限りなく企業の求める人物像に近づけて演じきれる役者タイプの器用な人もいますが、個人的には素の自分に合う会社に入れることが一番だと思っているのでやろうとは思いませんでした。寄せ方が間違っているかもしれないし、それで落ちたらそれはそれで悔しいしね…。
 
 
 
 
 
 

2.インターン(短期)

サークルに命を懸けていた私の周りにはやはりサークル命みたいな人種が多くて、そういう人たちは3年の冬とかから就活を始めて本選考だけでしっかり内定をとって就職していくので「インターンなんか意味ないよ!」とずっと言われてたんですが、私はこの一年で「インターンめちゃくちゃ意味あるよ!」と思った人間なので紹介します。(笑)
 
インターンに参加して感じたメリットはざっと以下の通り。
 
①いろんな人と会うので自己分析のいい材料になる(前述)
②説明会より丁寧な説明が聞ける、質問もしやすい
③企業の雰囲気がわかる
④本選考でアドバンテージになる(こともある)
⑤成功体験になる
 
 
①は前の項目で話した通りです。関係ないけどグループワークとかあるインターンだと普通に仲良くなって友達が増えることもある!私はインターンでできた友達とついこの間もリモート飲みしました。
 
 
続いて②。「インターン意味ない」派の主張としてよくあるのが「1dayとかマジ選考にも関係ないし時間の無駄」というものなのですが、考えてみて欲しい。合同説明会のブースで30分くらい人事の人が頑張る説明や、1時間くらいでやる単独の説明会よりも、1日かかってるインターンの方が説明の内容濃くね…?ということを。
 
また、コロナ禍以前の就活生あるあるで、3月には説明会ラッシュで一日でいくつも企業を梯子して…と忙しくなるイメージがあるのですが、秋口あたりにインターンでしっかり説明を聞いておけば、3月のスケジュールを少し楽にできると思います。それから、大人数の説明会だと、挙手して質問するのってなかなかのハードルですが、インターンであればまあ懇親会とかあるところが多いので、近い距離で質問もしやすいです。雰囲気も殺伐としてないしね。企業もそれを狙っていると思うし、私は1dayでもすごく価値があると思います。
 
 
③も少し②と被りますが、事業内容とかとは関係ない雰囲気が知れること、これはめちゃくちゃ大きいと思います。社員の方と直接話して思うこともあれば、プログラムの内容からなんとなく企業の体質がわかることもあります。質問もしづらいけど企業風土とか気になる人は絶対にインターンで偵察した方がいいです。
 
 
④。インターン参加者が全員参加できる早期選考、選ばれた人だけが参加できる選考、インターンのルートはなし、そういう採用戦略は企業によってさまざまですが、「インターンに参加した」ということは少なからずアドバンテージにはなります。インターンのエピソードなんかが志望動機に入ってるとやっぱり強いと思うし、参加者としての知識があるだけでベター、爪痕を残せていればベストです!
 
私は最終まで行った企業はどこもインターンでのパフォーマンスでの評価が大きくて、人事の方が私の顔と名前を覚えてくれてたり、インターンのときのことを褒めてくれたり、めちゃくちゃ恩恵を感じました…。個人的にはもともと「15分の面接で自己PRとか無理だろ!3日間頑張るからパフォーマンスで評価してくれ!」と思ってインターンに行ってたところもあるので、ありがたいことにちょっと作戦が成功したところもあります。
 
 
最後に⑤。最後だけあって、これが私の最推しポイントです!
 
本選考は、始まってしまったら「落ちるか、内定するか」の二択です。最終面接まで行って落ちることだって普通にあるしどうして落ちたのかわからないこともよくあるのでめちゃくちゃ自信が削がれます。
 
しかしインターンは本選考より圧倒的に通りやすいし、(参加するだけじゃダメだ!みたいな意見はさておき)受かって参加したらそれが”ゴール”です。なので、インターンの選考に参加しておくことで、エントリーシートないし面接ないしGDを潜り抜けて”合格した”という経験をつくることができるのです。単純に面接等の練習になる面もあるし、就活で”合格した"経験があるということはいざ本選考に挑むとき結構自分の心の支えになります(ここで流れ出すU R not alone)。
 
 
 
インターンに行くこと自体を億劫に思う人もいるかもしれませんが、たとえインターンでいい結果を残せなかったとしても評価がマイナスになることはないし、個人的には超ノーリスク・ハイリターンな催しだと思うので、ぜひ前向きにチャレンジして欲しいと思います!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

おまけ:よくありそうな質問

Q.「ジャニオタであることを隠してましたか?」
→全く隠してないです!むしろ自分のパーソナリティの根幹を占める部分なので積極的にネタにしてました。私は受けてる業界柄エントリーシートの設問等で「好きなエンタメ」とか聞かれることが多かったので、そういう欄にはほぼ全部「NEWS」って書いてましたし、そもそも卒業論文のテーマもNEWSなので話す機会が多かったです(笑)「とにかくめちゃくちゃ顔が良くて……っ」とかオタクモードに入っちゃうとよくないとは思うんですが、堂々と論理的に魅力を語れば何の問題もないと思います。もしもジャニオタだからって理由だけで落とされるならこっちから願い下げだしね!
 
 
Q.「就活留年してることについて突っ込まれましたか?」
→五分五分です。正直本選考の初期段階とかインターンの選考とかだとそもそも気づかれていないこともありました(笑)もちろん「なんで?」って聞かれることはあったけど、ちゃんと伝わるように理由を話せれば何の問題もなかったしむしろ志望動機を補強できることも多かった気がします。私も就留を決めたとき就活強者の先輩にクソ脅されてビビってましたが、(業界にもよるかもしれないけど)それが理由で落とされたこともないし明確なハンデを感じる機会もありませんでした。
 
 
 
Q.「就活留年オススメしますか?」
→自分はありがたいことに留年して結果に繋がりましたが、学費もかかるし社会情勢の問題もあるし、本当に人によりけりだと思うのでなんとも言えないです。たとえば今現在の21卒〜22卒で言えば景気的にどんどん就活市場は厳しくなっていくと思うのであまりオススメできません。また、私は一年目と二年目で全く違う就活をしていたのである意味新鮮な気持ちでできましたが、同じ会社に再トライとかするのはメンタル的に厳しいだろうな…と思うし、就活は受験と違って点数で結果が出ないので「あとどこを頑張れば内定取れるのか」というのがわからないのも辛いところだなと思います。とはいえ、よかったこともたくさんあるから選択肢の一つとしては十分あるよ、とお伝えしたいです!
 
 
 
Q.「SPI対策はしましたか?」
→受験の頃の記憶は遥か銀河系の彼方にフライアウェイしていたので、ブックオフで非言語用の問題集(頻出問題と解法が乗ってる薄いやつ)を買って、ざっと目を通してから挑むようにしてました。4年夏の就活リスタート時にSPI目当てで一社受けていて、そのときに受けたやつが点数良さげだったので使いまわせるときにはそれを使いまわしてました。SPIの点数が重視される業界でもなかったので、自分でもあまり心配してなくて、問題集を解いたりはしてないです。
 
 
 
Q.「スケジュール管理はどうしていましたか?」
→ずっとRollbahnのマンスリー手帳を愛用しているので、就活でもそのまま使っていました。いつもはマーカーで学業/サークル/バイト/遊び/就活とカテゴリごとに色分けして記入しています。就活では「この期間のどこかにある面接」とか「受かったら入るインターン」とかとにかく不確定な予定がたくさん発生するので、メモのページに自分でマス目を書いて、不確定な予定も全部書き込む「仮カレンダー」(2枚目)を作っていました。他の予定との兼ね合いや面接とかのダブルブッキングを避けるのにおすすめです!
f:id:bagle00:20201011230548j:plain

f:id:bagle00:20201011230544j:plain

 



 
Q.「就活中よく聞いてた曲」(答えたいだけ)
→面接向かう時…『BLUE』『トップガン
自分が日本代表か強い女になった気分になれる🤘
→面接直前…『クローバー』『U R not alone』
一人じゃないんだよって思える曲たち!NEWSに手握ってもらえる!コンサートでのURはいつも就活のことを考えながら聞いていたので、おそらく一番聞いた曲です。
 
 
あとはコメントなりDMなりマシュマロなりいただければ答えられる範囲でお答えします!
 
 
 
 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
 
 
私は基本何事も後悔することがなくて、「常にその時の自分の意思で判断しているから後悔なぞ無意味!」と思って生きているんですが、こと就活に関しては割とわかりやすく失敗/挫折したし、お金もかかっていることなので、この留年ルートを避ける道はなかったのかな…と考えることはやっぱりあります。
 
 
しかし、何度考えても今のところ結果はノーです。
 
 
サークルで自分の仕事がいっぱいあるとき、それを人に任せて早めに就活に目を向けることは自分にはできなかったし、専門職も絶対に一度は志してしまったと思うし、最初に決まった会社に勤めてても今頃鬱だったと思う。
 
タイトルにした『NEW STORY』の歌詞を引用するなら、やっぱり「生きていく一度きりの物語」が「自分のSTORY」なんだな〜というか、申し訳なさも甘ちゃんの自覚もあるけれど、今のところこれが自分の人生なんだなと思っています。
 
 
 
 
 
10月になってしまいましたが、少しでもこれから就活を迎えるみなさんの参考になっていたら幸いです。受験と違って評価が出ないし正攻法もないしサポートも薄いし、自分自身で勝負しなきゃいけないしコロナ禍で尚更マジメッチャツライこともあるかもしれないけど、どうか私を反面教師にして乗り切ってくださいね!!!!心から応援しています。
 
べーぐるでした!
 
 
 
 

旅人に花を

 
『世界で一番バカな旅人』という話を思い出していた。
 
私の聖書のひとつ、漫画『フルーツバスケット』に出てくる創作童話。
 
 
バカな旅人が旅をしていました。
 
その旅人は、バカだから、人にすぐ騙されます。
 
旅先の町で、街の人の「お助けください。」という声に素直に騙されては、
お金や、服や、靴を騙し取られてしまうのです。
 
でも、旅人はバカだから、「これで助かります。」という街の人の嘘の言葉に感激して、
「お幸せに。どうかお幸せに。」と言って快く差し出しました。
 
 
とうとう裸で一文無しになってしまった旅人は、
さすがに街を歩けなくなり、森の中に入ります。
 
その森には人を喰らう魔物が住んでいました。
 
魔物たちは、旅人の体を食べたくて、うまいことを言って騙します。
 
もちろん、旅人は騙されて、脚を一本、腕をまた一本とあげてしまいます。
 
 
結局、旅人は頭だけになってしまい、最後の一匹には、目をあげました。
 
最後の魔物は、旅人の目を食べながら、
「ありがとう。お礼に贈り物をあげます」と言ってなにかを置いていきました。
 
その贈り物は、一言「バカ」とだけ書かれた紙切れでした。
 
けれど旅人は、『ありがとう。ありがとう。初めて贈り物をもらったよ。嬉しい。本当にありがとう。』と、失くなった目からポロポロ涙を流して、死んでいきました。

 

 

 
 
そんな旅人を、知っている気がした。
 
 
つい最近まで4人で旅をしていたひと。
仲間のことを心から愛していたけれど、
今の旅ではできないことがあるからと言って、
ひとり別の道を選んだひと。
 
どこまでも無垢で、まっすぐで、ひたむきで、
嘘がつけなくて、だから危なっかしくて、
人を信じやすくて、誰にでも優しくて、
本当は弱いくせに強がりな、
誰かを喜ばせることばかり考えているひと。
 
 
 
6月23日。
 
会見を視聴する前、ファンである自分の中にあった一番大きな疑問は「何故STORYまで待てなかったのか」だった。その疑問はFRIDAYの記者から投げられた。弁護士の先生がマイクを取り、詳しくは「話せない」、ただし彼の本意ではない、ということだけがわかった。メンバーとの話し合いも持てない状態だった、とも語られた。
 
彼は何度も何度も繰り返し、おそらく取材陣には辟易されるほど、ジャニーズ事務所への感謝と、NEWSへの愛、NEWSファンへの愛を語った。でも私にはそれこそが彼の一番伝えたいこと、忘れられては困ることなのだと十二分に伝わった。
 
 
 
退所を決意するくらいだから、それなりに事務所に対して思うところはあったはずで、
それに至る流れだって、端からみたら円満ではないことくらい容易にわかる。
 
 
それでも彼は誰も批判しなかった。週刊誌への否定だって軽妙で、自分以外の誰にも怒りの矛先を向けまいとしていた。そんなところで「一切引かないし 一切負けない」を体現しなくたっていいのに、きみはいつもそうだ。でも、その姿は、やっぱり「俺がNEWSの盾になる」と言った手越祐也で、「(怒らないから)新人マネージャーは手越につける」と言われていたひとだった。ときに生きづらそうだなと思うくらい優しすぎる、NEWSというグループのメンバーだった人だ。
 
彼はそうして、これまでのNEWSと、これからのNEWSを守っていた。
 
 
 
 
 
 
その後のOPENRECの配信でも、彼はリニアモーターカーのように流れるコメントから、NEWSに関するものばかりを拾い上げて読んだ。
「増田さん痩せたよね、俺のせいじゃないといいけど、まあ俺のせいだろうな」
「昔B’z 増田さんとカラオケで歌ったなあ」
「俺、カラオケで NEW STORY歌って泣いちゃった」
「率直に、(メンバーに)会いたいです」
 
 
この人、きっと今3人に会えたら泣くんだろうな、と思った。
 
 
自分がもう「NEWS 手越祐也」ではないということを、誰より彼がわかっていないように見えた。もう十分だ、私の大好きだった4人の笑顔はもう守られた、十分だよ、って言いたかった。それでも彼は話し続けた。目を赤くしながらグループのことを話す姿を見て、なんて健気で寂しそうな生き物なんだろう、誰か、誰か彼を抱きしめてあげてくれ、と思いながら死ぬほど泣いた。
 
そんなに喋って大丈夫かなあと思うような瞬間もあった。彼は嘘がつけない。嫌いなものを好きと言うことができないのと同じように、好きなものを「好き」と言わないことができないのだ。でも、だからこそ、コンサートでファンに向ける彼の笑顔は眩しかった。そこに打算なんて一グラムもなく、心の底から嬉しく思ってくれていることが伝わったから。
 
 
 
そういう危なっかしさを、事実彼はたくさん持っている。
真っ直ぐに正しいと信じて、だけど間違えていることも、きっとある。
それでも私にとっては、彼のまっすぐさと優しさの方がずっと価値のあるものに思えるし、
むしろ、心配なところもあるからこそ、目を離すことができない。
誰より彼を軌道修正してくれたメンバーは、今その隣にはいないのだから、尚更。
 
 
 
彼が思い描くとおり、きっと今まで以上にファンとの距離は近くなる。私にはジャニーズ以外にも推しがいて、その人はファンとの会合を「親戚の集まり」と称してバスツアーに行ったり、ディナーショーを開いたりしているが、手越くんもきっとそういうイベントを開催していくんだろう。そして、なんとなくそういう「手の届くところにある愛」というのを彼が好みそうなこともわかる。ファンの声はもっと彼に届きやすくなり、多分「それ大丈夫?」って、ファンが心配したり、意見したりできるくらいの距離感になるだろう。そうやって彼が成長していくさまも、世の中にまだまだ伝わっていない手越祐也の魅力が伝わっていくさまも、わたしはまだ、彼の近くで見ていたいと強く思った。
 
 
 
 
 
ああ、わたしは、
 
4人のNEWSを、
 
手越祐也を、好きになりすぎてしまったんだな。
 
 
 
 
この痛みも、悲しみも、全部、好きになりすぎた報いなんだろう。
 
 
 
 
 
NEWSの4人を好きになって、全力で愛し続けて、
勝手にずっと一緒に歩いていくと決めたから、
わたしには、これからも"4人"を追いかける選択肢しかないのです。
 
 
 
 
 
 
 
手越くんは、もう、「NEWS 手越祐也」ではない。
 
でも、NEWS小山慶一郎加藤シゲアキ、増田貴久と手越祐也の絆を引き裂く権利は、誰にもない。だからどうか、これからも4人が、フィールドは違えど、共に生きる「戦友」であり続けられることを願う。こちら側には見せてくれなくてもいい。でもどうか、その繋がりが途切れませんように。一度4人で集まって、みんなが言いたいことを言い合って、心から前を向ける瞬間が来ますように。手越くんがいつかのコンサートにこっそり訪れて、また小山さんに「歌、よかったね」って言ってくれますように。そして、手越くんが本当にしゃがみこんでしまったときには、どうか3人の友人が寄り添ってくれますように。
 
 
4人が大好きなわたしから、4人のNEWSヘの、最後のお願い。
 
 
 
 
 
 
 
 
OPENRECでの配信の終わりがけ、彼はこう語った。
 
「今の芸能界って弱いものいじめ多すぎない?そういうの変えたいんだよね俺。誰かが矢面に立って矢が刺さったとしてもそれを言わないと変わらないじゃん。俺みたいなキャラクターじゃないとそれってできないと思うんだよね」
 
 
 
これから、彼の元には、今まで以上に激しく矢が降り注ぐ。
その矢から彼を守ってくれる人たちは、すぐ隣にはもう、いない。
だったらせめて、矢を受け止めながら笑って立つ君の瞳に映る、花の一輪でありたい。
これからの君を幸せにする、万の笑顔のうちのひとつでありたい。
 
 
 
私はこれから、NEWSのファンであり、手越祐也さんのファンになる。
 
 
 
 
 
 
 
 
冒頭の『世界で一番バカな旅人』を紹介した登場人物は言う。
 
損とか苦労とか、考えるだけ無駄だよ。
旅人は、そんなこと考えていないんだから。
誰かにとってはバカでも、僕にとってはバカじゃないだけ。
誰かにとっては騙しがいのある人でも、僕は騙さないだけ。
 
僕は、本当に喜ばせてあげたいと思うだけ。

 

 

私はやっぱり、4人の旅人全員の笑顔が見たい。

 

 

だから、これからもずっと、
枯れない四つ葉のクローバーを抱きしめて生きていく。
 
 
 
 
 

CLOVER PROJECT:あとがき

5月28日から本日迄、
Twitter上でNEWS CLOVER PROJECTという企画を運営していました。
 
企画の終了に際し、興味のある方に向けて主催者として感謝と今の心境を述べさせていただければと思い、このような記事を書くことにしました。とは言え、これは勝手な《あとがき》なので、読まなくてもなんの問題もない、バックヤードのおはなしです。
 
 
 
 
■動機について
はじめに私を動かしたのは、形容できない焦燥感と「NEWSのために何かできないか」という衝動でした。手越くんの活動自粛に伴い、4人のNEWSという形が変わってしまうのではないかという焦り。NEWSを好きになってからずっと、事あるごとにNEWSのために何かしたい、世間に対して好意形成をしたい、と思ってきましたが、あくまで私はただの一ファンに過ぎず、どうしても《できること》は限られてしまうと感じていました。
 
そんな中、28日にJohnny’s webの更新があり、「重く受け止めています」という3人のコメントが掲載されて、事態は思ったよりも深刻かもしれない、何もしなかったらいよいよ今のNEWSが失われてしまうかもしれない、という焦燥感に拍車がかかりました。特に、加藤さんの「あらゆる声が彼に届くことを願います」という一文は私たちファンがファンレターやなにかしらのメッセージを送ることを推奨してくれているように感じられ、いよいよ、行動を起こすなら今かもしれない、なにかしよう、という気持ちが固まっていきました。
 
 
そんな折、天啓のように飛び込んできたのがフォローしていた方の「もうみんなで歌う?」というツイートです。
 
 
思い出したのは、NEVERLANDの最終公演、東京ドームでの『U R not alone』と、15周年ライブ、味の素スタジアムでの『「生きろ」』の大合唱でした。
 
 
今回の手越くんの件の難しいところは、ファンの中にも、是か非かだけではない、本当に様々な感情がある、ということだと思います。実際に、自分のタイムラインだけでも多様な感情が渦巻いていて、多くの人が、とりあえずNEWSは好きだ、でもどういう心持ちでいたらいいのかわからない、という葛藤を抱えているように思えました。
 
でも、それぞれに巡る想いを抱えていても、一体なにを祈るのか、なにを届けたいのかわからなくても、届かないかもしれないと思っても、「なにか」が届くことがある。きっと「歌」ならそれができる、と思いました。
 
であれば、もしかしたら映像制作という自分の得意分野で多くの人の想いを掬い上げることができるかもしれない。さらに、再始動の際に手越くんがファン制作の動画を見たというエピソードや、そんなもどかしさを抱えているのがどうやら自分1人ではないということもわかり、はやる思いで企画を立ち上げました。発案からアカウントの開設までは、およそ3時間でした。
 
 
 
 
 
企画趣旨については募集期間終了時に書いた通りです。
 
憶測でなにかを糾弾したり擁護したりするのではなく、ただ4人のNEWSが見たいという声だけを届けよう、といったところです。また、たかが非公式のファン企画ですから、これに賛同したか否かでファンが分断されることも望んでいません。むしろ、今を複雑な心境で過ごされている方々に、手を動かすことで少しでも前向きな気持ちになってもらえたら、同じ想いの人がいることを知って心の拠り所にしていただけたら、という想いでいました。誰にだって「大好き」を叫ぶ権利も、祈る権利もあるのだから。
 
私が目指していたのは、《純粋に愛を叫べる"聖なる4合わせの庭"をつくること》、そして《NEWSにとっての選択肢を増やすこと》です。
 
たとえそれがエゴでも、我儘でも、好きなものを好き、とつぶやく権利は万人になると私は思っています。他者の人権を侵害しない限り、それは私たちの自由です。そして、こうやってファンの存在を主張しておくことで、4人で続ける、という選択肢が《不可能ではないもの》として残ってくれたら。今もそんな気持ちでいます。
 
 
 
 
 
企画を動かしている最中も、いろいろなことを考えました。
 
 
まず、こういったことをして、ある意味矢面に立つ時点で、ある程度の批判が飛んでくるであろうことは想定していたのですが、募集期間、1時間に10件程のペースで届いていたDMは、その全てが応募に際しての純粋な質問や温かい激励で、誹謗・中傷に値するような言葉はほとんどありませんでした。このことはなんだかこの殺伐としたSNS社会における希望のように思えました。
 
一方で、あらゆる問題を排除して企画を健全に運営するために、自分から定期的にエゴサをした結果、好意的でない意見を目にすることはもちろんありました。とはいえ、それはまさに自分自身が期間中ずっと自問自答していたことでもあったのです。(ここに書くのは売られてない喧嘩を買うようで申し訳ないのですが、)私の思考の記録として、いくつか勝手に回答してみることにします。
 
 
■誰やねん
→ごもっともです!アカウントを分けた事で、非公式で不安だ、と思った方も多くいると思います。
私自身もそう言ったデメリットは承知した上で、普段呑気に呟いているアカウントとON/OFFをきっちり分けたい、フォロワー稼ぎのようになりたくないという自分の気持ちを優先して企画用にアカウントを分け、本垢で言及することで、「調べればわかる」ような状態にしていました。多くの方から疑問の声が上がれば公開するつもりでツイートも準備していましたが、おそらく信頼度の高いアカウントの皆さんが言及したりRTしたりしてくださったことで、そこに関する疑問の声がほとんど上がらなかったのだと思います。
 
 
■手越くんに選択を強制したくない
→まず、一部報道を信じることが前提になってしまいますが、そのような意志が彼にあった場合、彼の幸福のために決断してほしい、と思う気持ちには同意しています。だからこそ、制作した動画を事務所に送りつけることはしない、と公言しました。見えるところに無理矢理持って行ったら、それは”強制"になってしまう気がして。
 
「4人のNEWSがいい」という今回の企画の主張は、ファンのエゴです。そして、いくら数千人にご賛同いただいたからと言って、それはあくまでネット上の声であり、固く意志を決めた人の決断を覆せるほどの力は持っていないと私は考えています。しかし、個人がTwitterでつぶやくように、エゴをエゴとして語る分には構わないだろう。そう思って今回のような形式を取りました。文脈として、『愛言葉』や『Love Story』や『「生きろ」』ではなく『U R not alone』という曲を選んだのにも、そういう背景があります。「NEWSに届ける」とは言ったものの、私個人としては、「もし彼等がこういうものを見たい、聞きたいと思った時に、手の届くところに在ればいいな」、という考えです。
 
 
■今はそういうことするタイミングなのか
→私は、どのような捉え方をするにしろ、今がNEWSにとって苦難の時であることは間違いないと考えています。このような事態になり、自分と向き合わなければいけない手越くんにとっても、様々な言葉を受け止めながら、粛々と仕事に取り組まなければならない3人にとっても。今4人は確実に何かに立ち向かっています。そんな4人を大好きで見守っている人は確かにいるよ、ということを私は伝えたいと思ってしまいます。
 
 
■お花畑
→考えが違う、ということで批判していただく分には構いませんが、それを「何も考えていない」と捉えるのは間違っていると思います。落ち込んでいる人も、明るく振る舞っている人も、こういうものに参加する人もそうでない人も、みなそれぞれに悩み考えた結果行動しているはずです。自分と向き合って弱さを剥き出しにするのも強さなら、増田さんのジャニーズマインドのように、弱さ辛さを一切表に出さないのも強さ。特に私は自分自身がそう在れないので、後者のような方をとても尊敬しています。
 
 
■寒い
→わからなくもないです。ただし、私個人はNEWSを応援する中で、幾度となく「愛」とか「希望」とか、そういう綺麗事を信じたいな、という気分にさせられてきました。それは『STORY』の企画や楽曲を見てもわかる通りで、こういう直球で、人の善性を信じるようなやり方こそが”NEWS風”だと私は考えています。それがたとえ、外から見たらちょっと恥ずかしいようなコミュニケーションだったとしても。
また、この企画に際して寄せられたメッセージは、そんな一言では言い表せないくらい、必死で、真剣で、切実なものでした。例えば、私の選んだ言葉とか、そういうものを批判していただく分には構わないのですが、どうかこの企画に賛同してくれた方の真心だけは尊重していただきたいと思います。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
最後に、自分語りを少し。
 
 
私が映像制作に興味を持ったのは、ほかでもない、「自分の好きなコンテンツのためになりたい」という思いが始まりでした。例えば絵を描いて同人誌を発行したり、楽器を弾いたりする人がいるように、誰かに新しい「好き」を提供したり、共に盛り上がれる手段が欲しいなと思ったのです。イラストやら小説やら、一通り創作に手をつけた中で、自分が一番楽しくて、周りにやっている人がいなかったのが映像制作でした。
 
それから程なくして、私はNEWSのファンになりました。初めて買ったCDシングルである『Touch』のMVに魅せられて映像の勉強を本格的に始め、大学に入ってから仕事も始めるうちに、いつしかそのきっかけは自然と「NEWSのために映像をつくりたい」という夢に変わっていきました。それは、小さい頃から「将来の夢」の欄を毎年適当に書いてやりすごしてきた私に出来た、初めての夢でした。
 
 
いつか、NEWSのための映像がつくれたら。
 
昨年まで、それこそ『U R not alone』という曲に何度も励まされながら、結構真剣にその夢を目指して取り組んでいました。ところが、就職活動に際していろいろと思うところがあり、私の中で一旦その夢はお預けになりました。早い話が、就職を通して直球で夢を叶えにいくのをやめたので、もう叶えられないかもしれないけれど、今すぐ捨てる必要もないから心の中で額に入れて飾っておこう、という扱いにしたのです。
 
しかし今日、多くの方の助けを借りて形になったこの『U R not alone』は、正真正銘、《NEWSのために》つくった映像です。たとえ矢印の方向が違ったとしても、公式じゃなくても、そのコアは同じです。
 
見切り発車で企画を始めたときには全く思いもよらなかったことでしたが、多くの方のお力を借りて、きょう、私の夢も一つ叶いました。
 
 
 
 
 
当初、私の想定した参加人数は約100人といったところでした。
最終的には参加人数がのべ3700人ですから、おおよそ37倍に膨れ上がったことになります。
 
そんな皆さんからの(ときに嗚咽の混じった)歌声や、心を込めて綴られたメッセージや、思い出の写真に目を通していく作業は、まさにNEWSがSTORYプロジェクトで経験したことの擬似体験のようでした。『NEW STORY』に「生きていく 一度きりの物語が君のSTORY」という歌詞がありますが、まさにNEWSという繋がりによってこの場に集まった数千人分の人生を浴びたような気持ちになりました。
 
 
アイドルでもなんでもない、ただの一学生に過ぎない私が、3000人を超える人々の想いを一身に背負うことは、もう後にも先にもないのではないかと思います。それだけに、こんなどこの馬の骨ともわからない一介のファンに、皆さんの想いを預けていただいたことを、奇跡のように感じています。
 
 
繰り返しになりますが、ご賛同くださったみなさま、温かいメッセージをくださったみなさま、厳しいスケジュールの中制作に携わってくださったみなさまに心からの感謝を。
 
 
 
 
これにて、本企画は終了となります。
 
 
I hope that they will  be “4” forever.
 
 
願わくは、わたしたちの未来に枯れないクローバーが輝き続けますように。
 
 
 
 
 
2020年6月13日
べーぐる
 
 
 

寝ずに考えた私的ヒロイン相関図2020

 
 
「ヒロイン相関図って知ってる?」
 
 
 
きっかけはシンメが家に泊まりにきていた夜のそんな一言でした。時刻は深夜2時。深夜テンションを引き起こすなにかしらのホルモンと妄想に使う細胞が最も活発に活動している時間。相葉雅紀の嫁になりたい」「職場の二宮先輩に働きすぎって怒られたい」「二宮くんはゲームのフレンドでもいい」「近所に住みたい」「松本潤とバレンタインについて」「一個上の生徒会長の櫻井先輩」………。
 
溢れる妄想は止まるところを知らず、気づいた時には鳥の声。
(私とシゲくんがなかなか交際に至らなかったせいでそれだけで1時間以上かかった)
 
 
 
 
というわけで、どんなに遅れていても流行には乗ったが勝ち!!!!!!
マジで寝ずに考えた私的ヒロイン相関図2020(NEWS編)です、お納めください。
 

f:id:bagle00:20200402003125j:plain

 
なお、わたしの顔面はショートカットの長澤まさみであることとします。
 
 
 
 
 
 
 
 
サークルの同期:加藤シゲアキ
 
シゲとの出会いは、所属する写真サークルの新歓だった。大学に入学してすぐによくある大人数での新歓コンパ。特別馴染めなかったわけでもないけど、時間の経過とともに盛り上がる飲み会のテンションについていけるほど元気でもなかった私は、いわゆる大座敷の”壁際族”として少人数で親交を深めていて、そのうちの一人がシゲだった。「加藤くんは写真以外の趣味とかあるの?」「シゲでいいよ(笑)う〜ん、割と多いんだよね、映画も好きだし音楽も好きだし」最初はそんな感じで、壁際族なのに意外とコミュ障じゃないんだな、って思ったのを覚えている。そこから今期見てるアニメの話とか、好きな映画の話で意気投合するのに時間はかからなかった。
 
恐ろしいことに、それから学部は違うのに大学で一番顔を合わせている友達になり、出会ってから一年が経過しようとしている今も、くだらないLINEは途切れたことがない。新しく買ったスタンプを使いたいがために送りつけてみたり、最近ハマっているというアーティストの情報が「聞いて」って送られてきたり、Twitterで見た面白いネタを送ったり、「2限寝坊した😭」って送ったら「やってんな〜w」って返ってくるだけの居心地がいい「友達」。
 
一番会っていると書いたのは、サークルの活動でも定期的に会うくせに、月2くらいのハイペースで二人でごはんに行ったり映画見に行ったり(ライブにも行ったり)しているからだ。シゲが謎の人見知りから料理にハマったと聞いてからは、どこかに遊びに行くんじゃなくて一人暮らしのシゲの家に上がり込んで映画を見たりすることも増えた。「お腹すいた!ご飯食べたいです!」って言ったらめっちゃ美味しいカルボナーラとかカレー出てきたりする加藤家の居心地は私の中で三ツ星ホテル並みである。この間、「なんでこんな料理までできるのにモテないんだろうね??」って言ったら「お前それブーメランだからな」って言われた。あ〜〜聞こえない聞こえない。
 
とまあ、こんだけ仲がよければサークルの仲間に茶化されたりはもちろんしていた。その度に本心から「マジでなんもないんよ、なんていうかこう…オタク仲間みたいな感じだから…」と答えていたら、「不思議だけど本当になんもないやつら」、という共通認識が広まってくれたようで、最近では全くいじられることがなくなった。
 
 
 
でもほんとうになんでもないのだ。好きか嫌いかで言ったら好きだけど、今のところ恋愛のドキドキをシゲくんに対して感じたことがない。多分同居しろって言われたらできちゃうんだけど、付き合うっていうのはちょっと想像できない…と、思ってた。
 
 
 
そうも言えなくなったのは、春休みに入った2月のこと。テスト期間、「テスト終わったらごはんいこ〜〜」といつものようにLINEして、次の約束が14日になった。2月14日に二人で会うのに、さすがに何もあげないのはマズいか…。気づいてしまったからには用意しないのもかわいそうだ、そう思ってとりあえず百貨店に行き、いい感じのチョコを吟味する。既製品なのは、凝り性な料理好きにあげるのに手作りで勝負する自信もやる気もなかったからだ。気がついたら一時間くらいフロアをうろうろしていて「私はなぜシゲのためにこんなに必死にチョコを選んでいるのか??」という答えのない宇宙に迷い込みそうだったから、考えるのをやめてさっさと会計することにした。
 
店でごはんを食べ終わった後、「どうせ誰からももらってないんでしょ、私が友チョコをあげましょう、はい」って渡したのは、思考停止して選んだジャン=ポール・エヴァンの4粒入りのチョコレート。「うるさいな〜〜!でもありがたくいただきます、」って受け取って「うそ!割といいやつじゃん!友チョコなのに笑」って言ったシゲの顔は、なぜかちょっとだけ寂しそうだった。
 
 
 
 
それがずっと心に引っかかっていて、いつも通りの日々を過ごしながらも、いつも以上にシゲのことを考えてしまう。あれ、ちょっと待って、ひょっとしてわたし、シゲのこと好きだったりする?そういう目で見たことなかったけど、別にこの一年他に好きな人もいなかったし、今シゲに彼女ができて今まで通り遊べなくなったら………………………悲しい、な。
 
自分でも今更すぎてびびるのに、気づいてしまったらもうダメだった。ビラ配りながら新入生に声かけてるシゲとか、お気に入りの二眼レフ覗くときにはらりと垂れる前髪とか、全部かっこよく見えてきた。どうしよう…と思いつつも、本当に今更すぎてなにをすればいいのかもわからないし、告白する勇気なんてない。そうこうしているうちに、新歓やら新年度やらで3・4月はあっという間に過ぎていった。
 
 
 
 
 
 
5月。帰省の予定を入れる前に、シゲに予定を聞いてみることにした。いわく、実家も関東だし、別にまだ決めてないというので、『スターウォーズ一気見の会』を開くことにした。だってあのシゲがいまだに見たことないっていうから!!頑張れば一日で行ける、横で解説してあげるから見て!!って言ったら「スタハラで訴えるわ!」とか言ってたけど知ったこっちゃない。
 
GW入りたての日曜日、久しぶりのTSUTAYAで借りた大量のブルーレイを持ってシゲの家に行く。エピソード4から元気よく見せ始めたのはいいものの、前日楽しみであんまり寝れなかった寝不足がたたって、ソファで意識を失ってしまった。目が覚めたら知らないブランケットがかかっていて、テレビではエンドアの戦いが始まっている。「ごめん!私どのくらい寝てた??言い出しっぺなのに〜〜ごめん、、」って謝ったら「ん〜、30分くらい?今からちょうどいいところなんじゃないのこれ?起きてよかったわw」って言われた。それから、「でもここ一応男の家だからね」って。それどういう意味…なんて聞けるはずもなく、ちょっぴり気まずいまま、エピソード3まで見たところで解散した。
 
 
 
 
 
6月。地道に通っていた甲斐あって車の免許が取れたので、シゲに報告してみる。「ペーパーにならないように練習しなよ」と言うので、「先生!!練習付き合って!!」って言って、ドライブをセッティングした。とりあえずテンプレ的に海が見えるところがいい!とリクエストして、横浜までシゲのナビでレンタカーを走らせる。海の公園に着いたのはちょうど夕陽がきれいな時間で、これはさすがにデートみたいだなあ、なんて思っていたら「そこ立って」と言われ、振り向くとカメラを構えたシゲがいた。珍しい。シゲがサークルでポートレートを撮っているのを見たことがない。でも、なんで私の写真撮ったの?なんて聞ける勇気はやっぱりなくて。シゲの運転で帰りながら、「さっきの写真あとで送ってよ」って言うのが関の山だった。その日の夜、送られてきた写真をこっそりLINEのトプ画にしてみる。なんか言われるかもなってちょっと期待したけど、その後会話しても、シゲはなにも言ってこなかった。
 
 
 
 
7月。11日はシゲの誕生日だった。でも、普通にサークルの定例会があって、特別に誘うにはハードルが高い。結局、普通にサークルの集まりに行って、その辺で買ってきたホールケーキでみんなでお祝いして、そのまま帰るノリになった。仕方ないから、帰り際、先輩に飲みに連れて行かれそうなシゲを引き留めてプレゼントを渡した。Canon EF85mm単焦点ポピュラーすぎて使うのを避ける人がいるレベルの、ポートレートの王道レンズ。「えっほんとに…?いいの?これまあまあしない?」って、人にプレゼントの値段を聞かないでほしい。いいよあげるよ、ちなみに最安値探し回ったけど4万はしたよ!!!!!!値段の本命感と用途で気づけよなバーーーカ!!!!!!(どの口が言う)
 
 
半分ヤケになって誕生日プレゼントまであげたのに(去年はあげていなかった)、それからなんの進展もなく、大学はまたテスト期間に入った。法学部のシゲは私よりテストが大変で、基本返信なんかも遅くなる。そのはずが、私も私でレポートの山に白目を剥きながら「テスト終わったらごはんいこ」って連絡してみると、「いいよ」「31日空いてない?」という返事が秒で返ってきた。空いている。空いてるよ、誕生日だけどね……。
 
しかして通い慣れた加藤家に招かれた31日。試験の鬱憤を晴らすかのように腕を振るったらしい料理のフルコースと、居酒屋でも開くのかってレベルのバリエーション豊かな酒。食費だけでまあまあかかっていそう。これ全部、わたしのために用意してくれたのかな…とちょっと感動していたら、食後に「はい。」って小さいホールケーキが出てきて、もうダメだった。だってそんな、ベタに『誕生日おめでとう』って書いてあるケーキなんか子供の頃以来だよ。そもそもあなたそんなに甘いもの好きじゃないじゃん。絶対これにお金使いたくないじゃん。とかなんとか考えて涙をこらえきれなくなった私を見て、さすがに慌てた様子のシゲが「おーいどうした(笑)」と心配してくれた。「いや、ちょっと嬉しくて…」って言ったら「そんなことある?(笑)これで?無欲すぎるでしょ(笑)」って言うから「シゲが祝ってくれるだけで十分嬉しいもん」って言ってみた。そしたらなんだか急に困った顔で「そういうこと言われたらさあ…」なんて言い淀むから、そんなシゲを黙って見つめてみる。
 
「俺はさ、今更だけど○○のこと好き、だよ。付き合いたいなってずっと思ってた。」
 
 
 
遅いよ、何ヶ月待ったと思ってんだよ、大好きだよ。
 
 
 
 
 
ちなみに、誕生日プレゼントは中古のフィルムカメラだった。「フィルムって現像するのめんどくさくない?」って言ったら、「そこが醍醐味なんでしょ。それに、俺今度暗室作ろうと思ってるから、その都度俺んちくれば?」なんて言うからずるい。
 
 
 
わたしたちは今日から「なんでもない友達」ではなくて恋人同士になったのだけれど、特段何も変わった気がしないから不思議だ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
〜〜〜以下、もはやおまけ〜〜〜
 
 
シゲアキの親友・小山慶一郎
 
シゲの3つ上で、今は営業の仕事をしている社会人一年目。就活が終わったタイミングでシゲと同じブックカフェで働きはじめ(なお、理由は「なんかおしゃれだから」)シフト被りが多くて仲良くなったそうで、今も頻繁に会っている。始めた時期的にほぼ同期だからか、歳の差にもかかわらずタメで話している不思議な関係。現在も新入社員らしからぬ活躍で順調に社内での評価を伸ばしているらしく、それをシゲはなぜか「小山さんはそういうの得意だから」と誇らしげに語る。
 
シゲから私のことを聞いてずっと「なんで付き合わないの?」って思ってたらしい。付き合ってから一回三人で一緒に食事に行ったんだけど、キラキラした瞳で馴れ初めから聞かれてなんか相手方の親と話している気分になった。それから私は影でこっそり小山さんのことをこやママと呼んでいる。
 
内定者のときから付き合っている同期の彼女がいる(カワイイ)。飲み会で彼女が他の男子とかと仲良く喋ってると、帰ってからずるく「俺ちょっとやきもち焼いちゃったな…」とか言って自然と束縛していくタイプ、であるらしい(シゲ談)。
 
最近会うとほとんどが彼女の惚気話で「結婚した〜い」ばっかり言うらしく、それにシゲは「小山さんの結婚式には出てあげるけど俺のには来ないで」と返しているらしい。その基準なんなの???
 
 
 
 
 
 
共通の友人・手越祐也
 
私の親友と同じフットサルサークルに所属していて、シゲとはゼミが同じ、共通の友人。私は今まで出会った異性の中で一番顔がいいと思ってるんだけど、事実サークルでもゼミでも、街を歩いていても鬼のようにモテるらしい。そして大学での交友関係がバカ広い。でも私服がほとんどジャージだから惜しいんだよなあいつ、とはこれまたシゲ談。
 
ある日私が昼休みにひとりで講義の席取りがてらご飯食べてたら「○○ちゃんだよね!シゲと付き合ってんの?」って単刀直入に聞かれてサンドイッチで窒息死しそうになった。「いや、みんなから仲いいって聞くから!シゲも変なやつだな〜、俺だったら絶対もう告ってるのに!」って言われて、じゃあ告白されないってことはそういうことなんだよな…とちょっと落ち込んだのも今となっては懐かしい。
 
一方のシゲもゼミで会うたびに「ねぇねぇ付き合った?」って聞かれるのが常だったらしく、「マジでそれで好きじゃないってありえなくない??そんだけ仲良くしてたら絶対相手気があるって思うでしょ、それでちゃんとけじめつけないの男としてどうなん??シゲは○○ちゃんが他に男作ってもいいの???」とか好き勝手言われ、若干イラッとしつつもそれからアプローチしようと思うようになったそうなので、手越くんはわたしたちのキューピッドだった説がある。
 
 
 
 
 
 
初恋の人・増田貴久
 
学区は違かったけど、私の小学校の男子と同じスポーツクラブに入っていて、しょっちゅう一緒に遊んでいた隣の小学校の貴くん。空き地で野球しててボールが隣の家の敷地に入っちゃった時、いつも一番最初に謝りに行くのが貴くんで、そういうところかっこいいなあと思って見てた。
 
そんな貴くんに告白されて付き合うことになったのは中学校に上がった頃。夏生まれの私の誕生日に貴くんがくれたのは、中学生にしてはちょっと背伸びしたブランドのTシャツで、オーバーサイズのそのTシャツが当時の私の一番お気に入りの服だった。結局一年経たずに別れてしまったけれど、そのプレゼントだけは捨てられずに、今も実家のタンスの中にある。
 
あのとき「○○のために服選ぶの楽しかった」って笑ってた貴くんは高校卒業と同時にスタイリストの道を進み、すでにアイドルのステージ衣装を作ったり雑誌にもちょくちょく顔出しで登場したりするような若手モデル兼スタイリストとして活躍している。この間雑誌の表紙に名前を見つけて立ち読みしたら、あの時くれたTシャツのブランドの春夏コレクションの話をしていて、もしかしたら貴くんもわたしのこと忘れてないのかも、とどきっとしてしまった。もう連絡先も知らない、遠い存在なのに、まだあのTシャツでつながっているような気がしてしまう、不思議なひと。
 
 
 
 
 
 
 
 
=============
 
 
 
 
………これ、一年後くらいに読み返して死にたくなるやつなのでは???
そんなことない??????
 
 
 
 
とりあえずこの世界線で生まれ変わるように徳を積むしかない!気が向いたらシゲくんとの続きを書きます✌️