EVERGREEN

好きな人が物書きなもので、つい。

マーブル模様の現在地

私は、旧ジャニーズ事務所に失望している。
私は、NEWSというグループが心底好きである。
この2つはきっと矛盾せずに両立するはずで、そうあってほしい、ということをこのところずっと考えている。
 
 
 
 
 
 
前段として、私はジャニーズが生み出したエンターテイメント=「芸能」に励まされて生きてきた自覚が大いにある一方で、「所属事務所」については、今回の性被害報道の前から愛着が薄れていたタイプの消費者である。中には歌舞伎や能のような伝統芸能と同様に、芸能スタイルと所属元は切り離せない、と考えている方もいるが(そしてそれによってこの問題に対して様々な意見が生まれていると思うが)、私はもともとそこは切り離したい、と考えていた。
 
事務所に対するマイナスな気持ちは、NEWSというグループを応援するようになって、あるいは自身が年齢を重ねるにつれて降り積もっていった。たとえば、不祥事に対する対応がタレントによって違うこと。退所のお知らせもタレントによって文言が違い、なにかと悪い意味で人間味を感じるシーンが多いと感じていた。運営面で言えば、YoutubeSNSへの進出・サブスク解禁が遅かったり、リセールシステムが一向に整備されなかったり、「アップデートが遅い会社」という印象もあった。
 
中でも最も違和感を感じていたポイントは、退所するタレントへの扱いだった。
俳優・声優業界ではマネジメント方針や会社体制をタレント自身が選び、事務所を移籍するのはよくある話だ。
女性アイドルはグループを華々しく「卒業」して、卒業後も卒業生として活動していく。
宝塚だって退団したあとは元・宝塚として自由に仕事ができる。
それなのになぜか、ジャニーズだけが「退所」することに対して「怒り」を浴びなければいけないことが多い。
そればかりか、退所後は元々持っていた仕事はすべて手放すことになり、地上波に出られなかったりする。 
そういう、権威的な側面を持ちながら、大企業的なコンプライアンス意識は足りない…という歪みがあの会社にはあると感じていた。
 
 
 
 
そして、今年の初めに、BBCの報道が出た。
 
ジャニー喜多川氏の性加害の噂について、聞いたことがなかったわけではない。
※ただし、これまでその話が出たのはもっぱら暴露本のような媒体であり、私個人としては信憑性に欠けると感じていた。ゆえに、ファンは加害の話を知っていながら応援していた、という文脈でファンを批判する意見については強く反論したいと思う。
 
しかしこれは企業としてきちんと声明を出して対応せねばならない事態になったな、と感じながら、
さすがに事務所にもそれなりに応戦する準備があるだろう、と思っていた。
これまで「噂」レベルでそういう話が出た時点で、きっと事実確認や社内の体制整備も完了しているだろうと。
 
 
しかし、長い調査期間を経て事務所が出したのは「性被害はあった」という発表だった。
そうして私の甘い希望はすべて打ち砕かれた。
 
 
大前提として、性被害は犯罪であり、決してあってはならない。
性被害についての報道が成された時点で、事務所は企業として誠実な対応を取らなければならない。
一方で、今回、当事者は既に逝去しており、詳細な事実確認はできない状況にあった。
そのような状況を踏まえて、(社会人の端くれなりに)まず事務所が取るべき行動は、仮に過去性被害があったと仮定してそれが今は発生しえない状況であると証明することーーーつまりは再発防止だと思っていた。
 
しかし、最初の会見で、再発防止についてのクリティカルな話は一切なかった。
報道から5ヶ月経っているのに、である。
一ヶ月後になってやっと再発防止の話が出てきたが、社内でまとまりきっていないものを会見で話してどっちつかずな回答をしたり、そもそも契約変更の話が所属タレントに事前共有されていなかったことが明らかになったりしている。何度か発表されている公式の声明では、加害側でありながら「虚偽の話をされているケースが」と言及するわ、末尾に「タレントと一丸となって」と書くわ散々である(この問題に対して真摯に取り組むべきなのは会社であってタレントではないはずだ)。
そんなわけでもうずっとあの事務所に失望しており、社長なんか交代したところでダメだこの会社、もう(応募者いないだろうけど)各界の精鋭を大量に中途採用して建て直さないとダメなんじゃないか、と思ったりする。
 
 
一方で、所属タレントをそこそこ長く応援する中で、私はジャニー氏とのエピソードを数多く耳にしてきた。
オーディション会場で椅子を並べているスタッフがいると思ったらその人だったこと、
挨拶をしなくて怒られたこと、喧嘩したあとに謝られたこと、「最悪だよ」が口癖だったこと。
彼の葬儀の後にはタレント一人一人が彼との思い出を語る時間があったというが、その全員が彼との印象的なエピソードを持っているというのは並大抵のことではない。だから、それだけ多くのタレントに慕われる求心力やプロデュース力を持ち合わせた人物でもあったのだろうと変わらず思っている。
 
もちろん今までのように名前を出して賞賛することは憚られるべきで、その観点から社名の変更等も免れないと思うが、だからといって彼にまつわるものすべてを寄ってたかって踏みつけるような態度には違和感を覚える。彼がライブエンターテイメントの世界で成した功績や、性加害の事実を知らず故人を慕っていた人が抱く想いは否定することができないはずなのに、それを「誰も幸せにしなかった」とか「人類史上最悪の…」と言ってしまうのはやりすぎではないか。どこが境界、と明言することは難しいが、犯罪行為への批判・糾弾と必要以上の誹謗中傷には明確な違いがあるはずだ。
 
犯罪を犯した人であったとしても、悪事しか働いたことのない人というのはきっと少ない。
自分が顔も見たくないほど憎い人が違う面から見たらいい人なのはよくあることで、
黒と白は混ざり合っているから難しい。
 
 
そして、感情がどこかに寄りすぎると、反対側が敵になり、本質を見失ってしまう(現に加害側を過度に擁護する声の多くは、メディアの態度への反発心から生まれているような印象を受けている)。
 
だからできるだけ中庸でいたい。
何事も100%白か黒かでは塗りつぶせないのだから、せめてそういう見方をしないように気を付けたい。
 
そんなわけで、自分が抱える想いについても今は一色に塗りつぶさず、
浮かべたままにしておこうと考えている。
 
 
 
 
先々週、先週と、NEWS EXPOの横浜公演・広島公演に入った。
今の事務所を取り巻く環境についてメンバーが言及する場面は確かにあった。
それを強さと取る人も弱さと取る人もどちらの意見も目にした。
本当のところは知る由もないが、個人的には、どちらの側面もある、と感じている。
誰になんと思われようと思ったことを口にする強さ、黙って抱えておけない弱さ。
笑いに昇華させて気丈にふるまう逞しさ、そうすることで不安を誤魔化していそうな脆さ。
そして私もまた、彼等の零した人間らしさを愛おしく思う気持ちと、「それを言葉に出すかは考えるべきだったんじゃないか」という気持ちの両方を抱えている。
 
真意はわからない。彼等の心情を邪推するべきでも代弁するべきでもない。
それでも私がNEWSのファンで居続けられるのは、
彼等がさまざまな意見を受け止めて「考えられる」人であると信じているからだ。
 
コンサートでの他のメンバーの挨拶中、いつも加藤さんが瞳を彷徨わせてなにかに思いを巡らせていたように、「あらゆることを受け止めて」これからも何事にも誠実に向き合っていってくれること、そこが私にとっては一番大事で、そうあってくれると信じている。
 
 
だから今は過度に心を使わずに、静かに状況がどう転がっていくかを見守るだけだ。
失望と希望と両方を抱えて、考えることだけは止めずに。
今日もわたしはわたしの人生を粛々と生きる。