EVERGREEN

好きな人が物書きなもので、つい。

どうかファンでいさせて

 昼食を食べに入った喫茶店で、トレーを置いた瞬間、思いっきりマグカップを倒してしまった。ドラマみたいに飛び散った紅茶が服にかかる。加藤さんがWORLDISTAで着ていた衣装に似ていて気に入っていた白いスウェットも、緑色だから買ったコートも、全部クリーニング行き。周囲の人にかからなかったのがせめてもの救いだった。上の空で過ごしているからこんなことになる。

 

 ずっと、昨日解禁されたアルバム曲について考えていた。『君の言葉に笑みを』。共感性羞恥で耐えがたいとか、テーマが「夢」なのはどうなんだろうとか、気になるところはいろいろあれど、結局私は「ひとりひとりの音声をこれだけはっきりと使う」ことが辛かった。音源の募集がかかった時点で嫌な予感はしていたが、まさか楽曲には使わないだろう、使ったとしてもコーラスの後ろでちょっと聞こえるくらいだろうと淡い期待を抱いていた。期待は打ち砕かれてしまった。ファンを形ある個人として認識してくれるNEWSの愛は基本「わたしとNEWS」あるいは「みんなとNEWS」の文脈で受け取るからこそ心地よいのであって、「他のファンとNEWS」ではない。そもそも、ファンの母数的に「ファン参加型企画」というのはかなり無理があって、使われるのはほんの一部の人たち。それも、ファンサのようにその日のラッキーボーイ、ラッキーガールというわけではなく、未来永劫残る音源で、「採用された人」と「採用されなかった人」が出てしまう。そこにファンとしての差はないはずなのに、どうしてそんなことにしたんだろう、と思ってしまった。自分はそれがすごく辛いから。

 

 

 「STORY」が発表された時のことを思い出す。

 ロゴ募集が始まった当初は乗り気だった。「ファンを巻き込むのが好きだなぁ」と思った。正直、デザインのようなものをかじっている身ではあったので、どうせやるなら採用されたいと意気込んでいた。きっとたくさん並べて使われるから、どうせなら他の人とかぶらないようなものをつくりたい、「STORY」の文字でどう自分を表現してやろうか、と思っていた。

 ふと、使い道を想像した。ジャケ写、映像、衣装。到底全員分使われるとは思えない。発売になったときの自分を想像した。ジャケットの表面に自分の送ったものが見当たらず、告知映像をコマ送りで探す。じゃあ衣装には使われているかもしれない、脇の下とか見えづらいところにあるのかもしれない、きっとある、と祈るような気持ちでSTORYのブックレットをめくる自分を。それで見つけられなかったときの絶望を思うとぞっとした。なにも自分が参加しなくても「STORY」は楽しめると思った。誰よりNEWSに「選ばれない」という未来では到底生きていける心地がせず、私は企画に参加するのをやめた。

 

 

 9月の自分の判断は、概ね正しかったと言える。

 ただ、参加しなくても同じことだった。

 

 発売中の雑誌でNEWSはみんな、STORYを「ファンの皆さんからエピソードを募集した」、「ファンと一緒に作り上げたアルバム」だと言う。その「ファン」にわたしはいない。

 

 そのことに気づいてから、自分の足先に白線が見える。

 

 

 歌番組で愛言葉を歌うNEWSが羨ましくてNEWSファンになった。

 昨日も一昨日も、当たり前のようにNEWSのファンだった。

 それなのに、気づかないうちに、ファンのくくりから外れてしまった。

 

 

 きっと私がEPCOTIA ENCOREに参加できていなかったなら、私はLove Storyの発売時点でこんな気持ちになっていたかもしれない。私は音源に採用されているオーラスにはいなかったけれど、あのメロディーを歌わされた記憶があったから、「サプライズ」として楽しめた。でも一度も会場にいけなかった人たちにとっては?全方面に気を遣っていては挑戦的なことはできないのはわかっている、わかっているからこそ、Love Storyがきっとファン参加型の限界だったと思う。とりあえず形になったものが「コーラス」として個が消えた形になっている分、音楽としては楽しめる気がするから。

 

 

 

 個人的な話になる。

 私は「選ばれない」ということに人一倍恐怖心が強い。きっかけはわからない。三人兄姉の一番下に生まれて、物心ついたときから自分の存在価値みたいなものをずっと考えていたからかもしれないし、逆に「頑張れば選ばれてきたから」かもしれない。いつも誰かに必要として欲しくて、勉強ができれば社会的に必要とされると思ったからそれなりに勉強した。学校の仕事はなんでも手をあげてやったし、だいたいなんでもリーダーだった。肩書きがあると、そこに自分の存在価値があるようで安心できた。友達にも「選ばれたい」と思ってしまう。親しい友達が自分抜きで遊びに行っているのを知ると、「選ばれなかった」「お前はまた選ばれなかった」と頭の中で声がするような気がする。話がおもしろくないからか、ノリが悪いからか、自分の粗探しをするけれど、これといった原因が見つからなくてパニックになる。それから、あまり言いたくないけど恋愛面で全く成功体験がないのも大きい。わかりやすくモテないので人生全戦全敗で、それが愛されることへの強い渇望を生んでいる。

 

 

 でも、そんな自分を救ってくれるのが、ファンという立場だった。「ファン」という存在である限り、必ずタレントは私を肯定してくれる。「大好き」と「ありがとう」で成り立つファンとタレントの関係は、とても単純明快で、それでいてとても綺麗な共依存だと思った。

 

 NEWSは特にその結びつきが強いアイドルだった。ファンであるというだけで無条件に肯定してくれるだけでなく、たくさんメッセージを発信してくれて、私にも何かできることがあるかも、と思わせてくれた。

 大好きな人たちに必要としてもらえることが嬉しかった。

 好きな人を好きでいていいのが嬉しかった。

 大好きな人に「大好き」と言えるのが嬉しかった。

 

 

 私はアイドルに大きなものを求めすぎているとわかっている。

 

 

   そんなNEWSのファンでいられないと思ったら、どうしていいのかわからない。

 ただひたすらに、申し訳ない、という感情しか湧いてこない。

 重すぎる感情を抱いてしまってごめんなさい。

 面倒臭い人間でごめんなさい。

 

 NEWSのくれるものを手放しで喜べるファンでありたかった。いつだってNEWSに喜んでもらえるファンでありたいと思っていた。今だって、NEWSに必要としてもらえるような、正しく追い風を送れるようなファンでありたいのに。

 

 

 

 ずっとぐるぐる考えてしまって、行き着く先の言葉が「ごめんなさい」しかなくて、もう何を誰に謝りたいのかもわかんなくなってきて、バイト中からずっと涙が止まらなくて、今も泣いている。

 

 

 

 好きな人の名前がついたキャンペーンなんてきっと一生に一度なのに、せっかくの加藤シゲアキウィークにお祭り気分になれていないことも申し訳ない。

 

 でも『STORY』を聞いてしまったら、もっと参加した人と隔たれてしまうのではないかということがこわくて、アルバムを開ける気がしない。

 ずっと楽しみにしていた4部作の最後なのに、4人がすごく考えて準備してくれたものだということはわかっているのに、それを楽しめない自分のメンタルも申し訳ない。

 「正直もうファン参加型はこれで勘弁してほしい」と思ってしまっている本音も、挑戦を続けるNEWSに足かせをはめるような考えに思えて、それも申し訳ない。

 

 

 

 

 私はただ、昨日や一昨日と同じようにNEWSが好きで、

 明日も来年もNEWSファンでいたいだけなのに、

 どうしたらいいのかわからないのです。

 

 急にNEWSが思う「NEWSファン」から弾き出されてしまったような気がしてしまって、

 どうやったら今まで通りの白線の中に戻れるかわからないのです。

 

 

 

 

 

 誰も傷つけたくなくて、文句とも取られたくなくて、やたら明るい文章を書いてみようかとも思ったけど、うまく言葉が見つからなくて、結局こうなってしまったことにもごめんなさい。

 

 

 

 

 どうか、ただのファンでいいから、ファンでいさせてください。

 

 

 

 

【追記】

このあと、1日経って気持ちの整理がついたので、次のエントリを上げました。

 

『STORY』に落ち込み、『STORY』に救われる。 - EVERGREEN