お題「NEWS DOME TOUR 2018-2019 「EPCOTIA ENCORE」続・宇宙旅行記」
今更お題をお借りします。
もう何人かの方がTwitterやはてブロで語っているけれど、やっぱりあのライブを生で見れた以上、自分の感じたことは自分の言葉で残しておきたいから、書くことにした。
LVEのことだ。
私が初めてLVEを聞いたのはライブの前日だった。
味スタが終わってからの2018年後半はプライベートの仕事が輪をかけて忙しく、「生きろ」は限定BOXをゲットするのにいっぱいいっぱいでそれしか購入できていなかったから、通常盤のカップリングのことなんてすっかり頭から抜けていた(今世紀最大の大馬鹿者)。だから、年末の京セラドーム公演が終わり、Twitterでも話題になっていたのを見て、「そんな曲が!?」と慌てて通常盤を購入したのだった。
はじめて聞いた時の感想は、「なんだこれ…」だった。
音楽のエネルギーに気圧されて倒れそうだった。
ポエトリーラップを彷彿とさせるようなシゲの語りから始まる楽曲の面白さ。
そして何より、直接的で攻撃的な言葉たち。
いろいろな意味でNEWS史に残る、いや、アイドル史に残りうる楽曲だった。この曲を聴いていなかったこの数ヶ月、私は完全にNEWSファンとして乗り遅れていたのではないかとさえ思った。
この際、曲がロックだとか、かっこいいとかは置いといていい。
大事なのは歌詞だ。NEWSが、NEWSというアイドルが、こんな曲を出したことがすごいのだ。
小山さんが「生きろ」のときに「この歌詞を背負えるか」と言われたように、きっと全員がそう問われたのではないだろうかと思う。
2018年6月。
どうしてもあの日々とこの曲を結びつけて考えずにはいられない私は、この曲に爽快感と安心感を覚えていた。
こんな切り返し方があっていいんだと思った。アイドルはもしかしたら被害者かもしれなくても、言葉を発することなく打たれ続けなければいけない職業なんだと悲観していた。だけどアイドルグループでありアーティストでもある彼等が、あの頃感じたであろう感情を、音楽にして発表したということが、めちゃくちゃロックでかっこいいと思った。
そして一ファンである私が、思っていても大きな声で言えなかったこと。なぜだかずっと悔しくて、行き場のない怒りをぶつけるようにブログに書いたこと。きっと楽曲を作るチームNEWSのスタッフにも同じ気持ちの人がいたのかもしれない、ということが嬉しかった。(あくまでも私は)
世間に対する反抗の牙であり、魂の叫び。
それが私のLVEに対する解釈だった。
そして、ライブはその衝撃をさらに超えてきた。
ちょうどこの頃に読んだ、柴那典さんのブログ。
RADWIMPSのPAPARAZZIや、星野源のアイデアについて並列して語られている。
LVEの演出はまさに、この「人をコンテンツとして扱う」邪悪を感じさせるものだったと言っていい。
赤い照明の中、半透明のスクリーンが舞台に降ろされる。
薄く鉄格子のようにセンターステージを囲むビジョンに踊る強烈な歌詞。
その中でNEWSは叫んだ。文字通り叫んでいた。
同じ檻の中にいるカメラを揺さぶって、膝をついて、蹲って、叫んでいた。
私には、それが怒り狂う獣に見えた。
つい一つ前の曲までそこは素敵な宇宙空間だったのに、
LVEが始まった途端、そこは宇宙でも東京ドームでもなくなっていた。
最初に脳裏をかすめたのは映画で見た円形闘技場の景色だ。
まるで自分が必死になって戦っている闘士を欠伸をしながら眺めている人間になったような気がした。
さもなくば動物園。
猛り狂った動物が必死に檻の中で足掻いているのを、楽しんで見ているのが私だ。
ずっとアイドルのファンをしていて、こんなにも「衆人監視」を意識することはなかった。
そうだ、私たちだって彼らの生をコンテンツとして扱っているのだ。
どんなに称賛していたって、彼らの人生を他人事として眺めているのだ。
アイドルとして必死に生きる彼らを手を叩いて見ている私。
アイドルのファンであることが、途端に邪悪に感じられた瞬間だった。
そしてまた、檻の中にカメラがいて、その映像がスクリーンに映し出されているという光景も奇妙なものだった。
私の目にはそのスクリーンの奥にいる彼等が見えているのに、
その手前に映し出されるのはカメラによって切り取られた映像なのだ。
これまた「メディア」というものの在り方を表象しているようで、私は戦慄した。
私たちが普段目にする彼等の姿は、何重ものフィルターを通して描かれた姿であるということ。
そこには必ず誰かの思惑があり、絶対に「100%ありのまま」なんかではないということ。
理解していたはずだけれど、目の前でそんな演出を繰り広げられてみると、なんにもわかっていなかったのではないかと思わされた。
しかし、その一方で、ステージで暴れ回るNEWSの叫びは、極めて「本能的」に感じられた。
それこそ、4人の心の底から生まれた魂の叫びのように。
NEWSである4人が、一旦NEWSである自分をかなぐり捨てて、剥き出しで叫んでいるような、そんなパフォーマンスだった。そしてそれはきっと、このようにスクリーンや演出で何重もの壁を用意したからこそできるものなのではないかと思った。あのパフォーマンスは、開放的なステージでは絶対できない。絶対にもっと“守った”ものになってしまう。
そう考えると、檻の中で暴れ回るケモノは、NEWSの4人がそっくりそのまま心の中に飼っているケモノで、
今私たちはその心臓の中を見ているのだ、という解釈もできるような気がした。
東京ドームを染め上げていた赤い照明が、途端に人間の血のように見えた。
そんなことをぐるぐると考えさせられながら、あっという間の2分強が終わり、着席シートだった私は呆然と椅子にもたれかかっていた。
先述したとおり、途端に自分の行為が、アイドルを応援するということが、とても邪悪な行為のように思えてしまったからだ。正直絶対にかっこよかったはずのJUMP AROUNDもほとんど記憶がないくらい、LVEの衝撃は大きかった。
しかし、と思い起こして励まされたのは歌詞だった。
愛がなくては生きていけない
希望が無くては前に進めない
信仰がなくては悪意に打ち勝つことはできない
“I”ーー自分がなくては”LIVE"にならない。
でも、愛がなくては「生きて」いけない。
信仰がなくては悪意に勝てない。
だとしたら、その愛も信仰も、捧げるのは私たちなのだと。
おそらく、NEWSがこの曲を今後LIVEで披露することはないだろう。
LVEはあのタイミングだから許され、実現された、最高の表現だったように思う。
円盤では一体どんなふうに編集されているんだろう。
内側の映像だけなのか、引きもあるのか、それによって編集者の解釈がわかるような気がする。
とはいえ、あの日眼前で繰り広げられたパフォーマンスに、自分の席から見たあのLVEに勝る衝撃はないと確信してしまっている自分もいる。
EPCOTIA ENCOREで見たLVEは、それほどまでに鮮烈で、示唆的で、迫力に満ちた圧巻のパフォーマンスだった。